エインセルサーガ外伝・【ロストプリンセス】最終話

 

嘘である。

シュバルツは自分の人生において、二つの大きな嘘を吐いている。

一つ。クラウスを死んだと報告していること。

一つ。反乱者達が逃げていった方角は北であること。

この二つの嘘のおかげで、反乱軍は今までロートヴァルト軍が行ってきた残党狩りを最低限の被害で免れることができたのだ。

その残党狩りは率先的に自分が出向き(自分の師が起こしてしまった罪を償うという体で)

、あたかも交戦したと見せかけた上で、この国に疑問を感じる者には真実を教え、反乱軍に手引きし、何も思わぬ自軍の兵は名誉の戦死をしたと自らの手で自らの部下を葬ってきたのだ。微々たる被害だが、こうすることによって少しでも反乱軍の手伝いを自分なりに行いたかったのだ。

自分はロートヴァルトに。いや、エヴィンカーに忠実でならないといけない。

忠誠を誓う振りをして、そのせいで心が磨耗していこうとも、彼はエヴィンカーを欺き続けないといけないのだ。

全ては自らが真に信じる師の為に。

全てはこの国の為に。

シュバルツは心を砕くのだ。

 

 

 

「報告します! エヴィンカー様、カーン様! ついに反乱軍のアジトを発見しました!」

「何、本当か!」

露出の多い衣装を着た二人の女性が思わず持っていた巨大な扇の動きを止めてしまうほどに、エヴィンカーの声は大きかった。

余談だが、シュバルツはエヴィンカーのことを決して国王と呼んだ事は無い。軽い皮肉だ。まあ、本人もさほど気にしていないのだろう。それを咎めることはない。

「して、場所はどこに?」

対照的に、落ち着いた声で問うカーン。腐っても軍師なのだろう。

「先日行った焼き討ちの際、元銀の鷹の百騎長ジークがそれを救いにきました。すぐに増援が来たところを見るに、近くにアジトがあると思われます」

赤い絨毯の上で跪き淡々と報告を続けるシュバルツ。それにエヴィンカーは、ううむ、と思い音を出した。

「カーン、現在の反乱軍の規模はどれくらいだと申しておったか?」

「反乱分子のリーダー格であったクラウスこそシュバルツが討ちましたが、それでも九○○は硬いでしょう。それに先ほど名前が出たジークなどを筆頭に、元銀の鷹には結構な手練が居るはずです」

それを聞いてエヴィンカーは再度、うぬう、と音を出す。だが、その考えるように漏れた音とは対照的に、彼の表情は愉悦に満ちていた。それはまるでおもちゃを貰った子供のようである、強者が弱者をいたぶるような優越感に満ちているようであった。

「良い。それではすぐに兵を向かわせよう! 良いな、カーン」

「異論はありませんが、それを率いるのはシュバルツ、貴方ではありません」

カーンの静かな。それで居てこちらを探ってくるような目にシュバルツは、あえて(、、、)、挑みかかるように問うた。

「何故私ではないのですか、カーン様!」

「師を手に掛けたとはいえ、ジークは貴方の同門でしょう。これは私なりの慈悲です」

そう、試すかのようにカーンは言うと、シュバルツは内心ほくそ笑みながらも、苦々しい口調で、お気遣いありがとうございます、と言った。

そう、エヴィンカーはともかく、カーンは未だにシュバルツのことを信用していなかった。否。彼は誰も信用なんてしていない。毎回のように反乱分子を狩る際に極少数ではあるが被害を出してしまうシュバルツに、カーンは元々の懐疑的な性格もあってか、彼を信用していないのだった。

もしかしたら、この男はジークと内通しているのではないか。カーンはシュバルツに対してそのようなことを思っている。無論、それは当たらずも遠からずであり、今回もその懸念によりシュバルツを外に出すことを嫌ったのだった。

例えば、九○○近い反乱軍を倒すには、最低でも(最低でもだ)一五○○の兵は必要であろう。それを千騎長のシュバルツに委ねてしまい、反乱軍と合流でもされれば、相手の戦力は増大し、こちらの戦力は下がってしまう。国境に兵を置いておかないと、隣国はあのヴェルゴスの傘下の国であり、いつ寝首を掛かれるか分かったものでないため、全ての兵を割くことはどうしてもできない。そうなれば、相手とこちらの戦力差はこちらがまだ勝っているとはいえ、油断できないものとなってしまう。国内外で自分達を狩らんとする者達とにらみ合いを続けるのはさすがに良くない。それが故にシュバルツを今回の討伐隊から外したのだった。

だが、シュバルツ自身もこの討伐に参加する意思は最初から無かったのである。

「して、カーンよ。どれ程の兵で蹂躙するかの」

その発言を聞いてカーンは自らの王を心の中で罵倒した。この男は所詮自分の欲望の赴くままにしか考えることはできないのだ。王という位置を楽しむことしかできない。この国がどれ程に危ない状況なのか分かっていないのだ。

この国の木材が減るということは、相手の兵力が増大するということ。いくら傘下に下るといっても、相手はあのヴェルゴスだ。いつ裏切るか分からない。それに規模は小さいとはいえ、あの反乱軍も目の上の瘤だといえるほどに厄介だ。国外相手に外交という名の牽制をし続けないといけないのに、ある程度の戦力を保有した反乱軍が居るという事実が厄介だ。行動を起こすにしても起こさないにしても、ある程度意識していないと寝首を掻かれてからでは遅いのだ。

故に、今回のシュバルツの情報は真偽の程はともかく吉報だといえる。少なくともこれで三つの悩みの種である一つが消えてくれるのだ。行動しない手はない。

――ないのだが、これが罠である可能性も否定できない。先ほどのようにシュバルツとジークが内通している可能性がある。つまり、相手の行動をある程度許容できるほどの数をこちらに残しつつ、相手を確実に殲滅できる数(そして、悩みの種の一つでもある王を満足させるだけの人数)を裂かないといけない。

「そうですね。それでは二○○○程の兵を向かわせましょう。二倍の数を使えば必ずや殲滅できましょう」

カーンの言葉に、エヴィンカーは嬉しそうに、ウムウム、と言った。

「ですが、今回だけはエヴィンカー様が現場で指揮を取ることは控えていただきたいですな。相手の目的は貴方様なのですから、もし流れ矢にでも当たったら事です」

そのカーンの言葉に、エヴィンカーは不服そうだった。

そして態度を見てカーンは、やはり、と思った。

どうせこの男は多くの死を見たいだけなのだ。娯楽の一貫として人を殺す。王の権限を振りかざし、多くの快楽を得。そしてついに生命をも娯楽の一環にしてしまった。

今回の討伐の話でさえ、彼にしてみれば娯楽に違いないのだ。楽しそうな遊びが向こうからやってきたぞ、ぐらいにしか思っていないのだ。

「ウーム、仕方ないの。では終わったらその視察ぐらいは構わんだろう?」

「そうですね。それくらいであれば大丈夫でしょう」

その言葉にエヴィンカーの顔は砕けた。

「ウム、我に逆らった者達の末路を見届けてやりたいからの」

愉悦に満ちた、生理的に嫌悪を催す顔をするエヴィンカー。その顔を見てシュバルツは内心こみ上げてきた怒りを抑えながら退出した。

同じように、カーンも作戦を部隊に伝えてくると言い、その場を去った。

そして、その場には両脇に美女を従えたエヴィンカーだけが残された。

 

 

 

「はぁい、王さまぁ。ご機嫌麗しゅう」

女である。

シュバルツの報告の後、一人の女が謁見の間にいつの間にか入り込んでいた。

赤い絨毯の上に、黒く浮き立つ女が一人立っている。

その女はその登場と比例するかのように奇怪な格好をしていた。

彼女の豊満な体を隠すはずの服は、それを嫌っているかのように肌に張り付き、その女の美しい体つき(ボディーライン)を浮き彫りにさせている。

奇怪な服装と同じように、彼女自身もまさに奇異だ。

銀色の長い髪に、白亜の石(真珠のようなもの)のように内側から光が溢れるかのような白い肌。まるで作り物であるかのように一点の曇りも無い、まさに美の結晶である。

そう、美しすぎるという奇異を彼女は兼ね備えていた。

「お主か。確か、ヒンタービューネ、とか申しておったな?」

エヴィンカーはそういうと、美しすぎる女は、八重歯を見せながら笑う。

「あらん? 覚えてたのぉ? 嬉しいですわ、王さまぁ」

「貴様のように美しく、されど言葉遣いを知らんものは二人と居ないからな」

ヒンタービューネと呼ばれた女は笑う。その笑顔に、エヴィンカーの両隣に居た女は小さく音を漏らし、逃げるように退出した。

「逃げられちゃった。可愛いからお近づきになりたかったのになぁ」

女は妖艶に笑うと、エヴィンカーは小さく息を吐き出した。

男である以上、美しき異性はそれだけで性の対象になる。だが、エヴィンカーはこの女に対してはどうしてもそのような感情を抱けないでいた。それは彼じゃなくとも男なら誰でもそうであろう。

まるで蟷螂(カマキリ)のような女であるとエヴィンカーは思っている。食ったつもりで結局は食われていたということになりかねない。欲求こそ感じるが、本能がそれを阻害しどうしてもこの女の前では自身が萎縮してしまうのだ。

「して、今日は何の用だ?」

「アハッ、王さぁまは忘れちゃったのかい? 寂しいよぉ。ほら、アレだよ、アレぇ。王さまが欲しがってたものさぁ」

気持ちが悪いくらいに、ねっとりとした美しい音で喋るヒンタービューネ。その音色にエヴィンカーは背筋を震えさせながらも、会話の内容を聞いて心を躍らせた。

「ま、まさか本当に!?」

「本当さぁ。僕はぁ嘘は吐かないよ、うふふ。だって王さまに嘘なんて吐いたら殺されちゃうからねえ? うふふ」

舐めるようにエヴィンカーに視線を這わせるヒンタービューネ。ゆっくりと玉座に近づいていく。

エヴィンカーはそれを見て、まるで獣に狙われている獲物のように錯覚してしまう。あまりにもゆっくりだが、視線だけは外さずに歩いて来るからだろう。

そして、エヴィンカーの視覚がはっくりと通る場所で女は止まると、どこからか(彼女の服には隠せるような箇所なんて存在しないのに)白い小瓶を取り出した。

「これだよぅ」

「その中に?」

頷く女。エヴィンカーはどうしても偽りに感じてしまうが、この女ならばそれも可能かとも思ってしまう。信じ込ませる何かを、この女は持っているのだ。

「あい分かった。お主に褒美を取らせる。して、お主は何を望む?」

「なぁにも? 僕が望むものなんて無いよ。だから気にしないでぇ」

あまりにも意外な言葉に、エヴィンカーは動揺する。自分の求めるものを持ってきた相手は何も望まないという。それが更にこの女に対して生理的な恐ろしさを感じる要因になる。

「うふふ。誰も居ないから直接渡して良いのぉ?」

エヴィンカーは辺りを見回す。人払いをしたかのように、何故かこの間には誰も居なかった。

「う、うむ。良い。持って参れ」

正直早くあの女からあの小瓶を奪いたかった。ただでさえ奇怪な輩なのだ。貴重なものを相手の手に委ねておくことは心臓に悪い。

「はぁい」

そんなことを知ってか知らずか。まるでどうでも良い物のように左の親指と人差し指で瓶を摘んで持ってくるヒンタービューネ。それを見てエヴィンカーは気が気でなかった。だが、自分がそれを改めるように一喝して女を驚かせることで、その瓶が破損してしまうことが恐ろしい彼は結局自分の元に、ふらふらと歩いてくる彼女に何も言うことができなかった。

自身がずっと求めてきたものがすぐ目の前にあるのだ。ここで焦って事を仕損じては目も当てられない。

「はぁい、これ」

女はエヴィンカーの手の中に、小さな小瓶を落す。彼はそれを大層大事そうに受け取る。

「う、うむ、確かに。して、これは効くのだろうな?」

「大丈夫だよぉ。それについては保障してあげるよぉ。もし効かなかったら、七日以内だったら、くーりんぐおふしてあげても良いから、きゃはは!」

エヴィンカーには言っている意味が分からなかったが、ちっとも信用できない女の不気味さだけは信用している。故に、このようなものが実際に存在するならば彼女のような存在こそが齎してくれるだろうという、妄信的な納得があった。

「それじゃあ、僕はもう行くねぇ」

「ふむ、忙しいな。本当に何もいらないのか?」

「要らないよぉ。僕がほしいものを手に入れるのはすごーく難しいんだ。だからいらないよぉ」

誰にも手に入れることができなかったものを、あっさりと持ってくるこの女の欲しいもの。そして、その彼女が難しいと言うもの。それが何なのか気になったが、早く目の前のこれを試してみたいという欲求にエヴィンカーは素直に従うことにした。

「それじゃあねぇ。ばいばーい、きゃはは」

振り返ることなく、肌に密着した黒は舞うことも無く、静かだが賑やかに女は去っていった。この場所に現れたときとは正反対に。

エヴィンカーはそれを見送った後、手にした小瓶を見て顔に愉悦を浮かべた。

「ついに、ついに私は!」

その言葉は誰の耳に届くことなく、広間に響く。

既に廊下を歩いている女には距離的に聞えないはずだが、その表情は笑っていた。

 

 

 

フランは自分の部屋から見える月を、呆、と眺めていた。

後半日もすればこの国を変える戦いが始まるのだと思うと、とてもじゃないが寝付くことができなかった。

明日。

夜明けと共に作戦が始まる。

不安が無いと言えばもちろん嘘になるし、自信が無いのかと問われれば、それもまた嘘である。

自分の最も信頼できる人が作った策。

自分が最も信頼できる人の力。

どこに杞憂する必要があるだろう?

つまりフランが寝付けない理由は自分が生まれて以来、最大の高揚感からだった。

何とか自分を落ち着かせないとと思っている。

でないと、折角の勝つための戦いに水を差してしまう。

だが、そう思えば思うほど、彼女は眠りにつくことができずに、こうして窓から月を眺めるのだった。

今日も空には美しすぎる月がある。

あの日からもう少しで二回、月の満ち欠けが行われようとしている。

ジークと出会い、母を失い、クラウスと知り合い、マルガリータを迎え入れた。

なんと濃厚な時間だっただろう。

そして、その全てが、かけがえのないものである。

フランが今までのことを整理するかのように月と対話していると、自室の扉が小さく叩かれる音がした。

「開いていますよ」

「失礼します」

扉の向こうにはリッタの姿。先日の煌びやかな重ね織りではなく、出会ったときの白いフードの付いたローブ姿だった。

「まだ起きていらっしゃったのですね?」

「うん、何だか眠れなくてね」

「そうでしたか。まあ、かくいう私も同じなのですが」

リッタはそういうと、二人は小さく笑った。

冗談のように静かな夜だ。洞窟の兵士達は見張りを除き、明日に備えて眠りについている。自分を信じて奮闘してくれる彼らの休息を妨害することはしたくない。

「リッタでも緊張して眠れないってことあるんだね」

「もちろんです。私だって自分に自信があるわけではありません。常にこの考えは正しいのだろうかと疑心暗鬼です」

「大丈夫だよ。明日リッタが正しかったって証明されるから」

「ふふ、ありがとうございます。実は私、明日に備えてきちんと寝ていたのですが、急に夢見が悪くなりまして」

「それで、起きちゃったんだ?」

頷くリッタ。

「どんな夢だったの?」

「それがあまり覚えていないのです。私はあまり夢を覚えていることは得意ではありませんので、忘れてしまいました」

「そっか。ちなみに私は得意だよ。夢を覚えているの」

「そうなのですか? すごいです。人は大抵見た夢を忘れてしまうのですけど」

「まあ、私の場合、何度も同じ夢を繰り返し見るから覚えているだけなんだけどね。普通の夢はすぐに忘れちゃうよ」

「何度も同じ夢ですか? 差し支えなければ――」

「そんなに改まらないでよ、リッタ。そんなに敬語を使われちゃうと寂しいよ」

「す、すいま――ごめんなさい」

「うん、良いよ」

フラン達はそうして、再度小さく笑いあった。

「それで、フラン様はどのような夢を見られるのですか?」

「えっとね。天井と左右をレンガで囲まれている通路を走る夢かな」

「は、はぁ。通路ですか?」

夢とは心象の投影でもあるとゲオルクに教えてもらっていたリッタは、フランの夢の内容を聞いてどう答えて良いか分からなかった。まだなんともいえないのだが。

「実際には私が走っているわけじゃなくて、若い頃の。侍女時代のお母さんが綺麗に着飾った私を抱えてその通路を走っている夢なんだ」

「その夢を、何度も?」

「うん。お母さんと一緒に暮らしているときから見てるよ。頻度は高くないけど、それでも忘れられないくらいには見てる」

どういう意味なのだろうか? 母親が死んでから見始めた夢ならば何となく理由付けはできるのだ。安直ではあるが死から逃れようとしているイメージだとか。

でも、それ以前から見ている夢となればそれは別の意味を持っているのだろう。

まだ王女だった頃の二人が通路を走る夢。

それは――。

 

「――それはもしかして!」

 

リッタは思わず大きな声でその場を満たした。今までで一番大きな音にフランは驚く。

「す、すいません」

「ううん、良いよ。でもどうしたの? リッタがそんな大きな声を出すなんて珍しいね」

「はい。もしかするとこの作戦の成功率が上がるかもしれないのです」

その言葉にフランの表情は途端明るくなった。

「良い策を思いついたんだね?」

「いえ、これは想定していながらも見送った策の一つなのです。ですが、もしかすると――」

そう言いながらリッタは真っ直ぐにフランを見据える。

「フラン様。その夢は最後、どうなるのですか?」

リッタの意外な言葉にフランは驚いた。作戦の成功率が上がるかもしれないという会話の流れから、いきなり夢の内容に話が戻ったからだ。

「えっと、最後までその夢、見たこと無いんだ。光の方へ向かって走ってる最中に、いつも終わっちゃうの」

「そ、そうですか。では、フラン様。その夢の続きをもし見たのであれば私に教えていただいてよろしいですか? 必ずですよ?」

念を押すリッタに彼女は頷く。

「う、うん。分かった。約束するよ」

落胆するリッタを見ながらフランはそれを励ますかのように笑顔で言った。

 

 

 

夢を見た。

リッタにあのように言われ、更に早く寝ないといけないと焦っていたからか、彼女は魘されるように夢を見た。

そう、あの通路を走る夢である。

蒼く綺麗な服で着飾った小さなフランを連れて、若く美しい侍女は不安そうに。だが必死にそれを押しつぶされまいと毅然に、フランを抱きかかえながらそのレンガで覆われた通路を走る。

「ああ、フラン様。怖くないですよ。怖くないのですよ」

まるで自分に言い聞かせているかのように、夢の中のヒルデはフランに言う。そのフラン自身はどこに焦点が合っているでもなく、ただただレンガの続く先を見ていた。いつもの彼女とは結びつかないほどに、その目は虚ろだ。

「ひるで」

「はい、なんで、ございましょう、フラン様」

フランを抱えながら走っている彼女は、受け答えするだけで精一杯だった。

「お母様は、お母様はどこに居るの?」

答えづらそうにしているヒルデ。つい先ほどまで一緒に居たフランの母親。つまりはジェラードの側室である女性。その人はどこに居るのだと、小さなフランはヒルデに問うた。

「そ、それは――」

答えられなかった。とてもではないが、答えることができなかった。

だからだ。彼女が小さな嘘をついてしまったのは。いや、嘘ではない。これが今後、真実となるのだから。

「私が今日から、フラン様の母親なのですよ」

「ヒルデが?」

「はい、フラン様。いいえ、フラン。だから安心して。疲れたでしょう? 眠っても良いのよ?」

返事をする代わりに、しばらくして聞えてきたのは彼女の寝息。ヒルデはそれを聞いて少し安心したのか歩みを止め、背中にフランを背負いなおした。

そして光。

延々と続くと思われたレンガの道。その奥から光が零れている。

光に包まれた瞬間、あまりの眩しさにフランは閉じていた目を薄っすらと開ける。

そこは先ほどとは全然違う、目に心地の良い緑に囲まれていた。

「――様。私は、――を、これ――守り――ます」

ヒルデの声がした。

そして、薄っすら開いたフランの目には、遠くで真っ赤に燃える城が見える。

そして、フランはまるで事切れるかのように、再度深い眠りについた。

 

これは余談だが、この後四日間フランは目を覚ますことなく、気付けばカープフォートの村に居たのだった。

そして自然にヒルデを母親と受け入れ、自分は彼女の子として振舞うことになる。

まるでそれが自然なことであるかのように。

 

 

 

地図の広がる作戦室に、クラウス、ジーク、リッタの三名が最後の打ち合わせをしていた。彼女等の後ろにはカレンを筆頭に十騎長達がそれに耳を傾けている。

後二周期(二時間後)もすれば作戦決行ということもあり、作戦室から、その外で号令を待つ兵士達、更にはこの洞窟に住む全員へとある種の高揚感が伝播していた。

三人が確認にも近い打ち合わせをしていると、外がざわついた。

三人は訝しげに入り口の方を見ると、そこにはフランが立っていた。先ほどの音は外の兵が自分の王に一斉に挨拶をしたのだろうと三人は納得がいき、それぞれ彼女に挨拶を済ませると、フランは皆の前に立ち、リッタを真っ直ぐに向きながら口を開いた。

「リッタ、夢を、見たよ」

「夢、本当ですか!」

会話の内容が理解できないのだろう(当然であるが)、ジークとクラウスは首を傾げた。

ただ、どこか憂いを含んだ彼女を見て、三人は同じように不安に駆られた。

「どうかしたか? フラン」

「いえ、少し思い出してしまって」

「何を思い出したのですかな?」

クラウスの問いに、フランは頷く。

「母のことを。ヒルデが母になってくれた時のことを思い出したのです」

そしてそれは、本当の母親がヒルデではないという再認識であり、その理由も言わずもかな、自分にこれ以上の悲しみを背負わせたくないと考える愛情からだった。

「――フラン様」

リッタはどう言って良いのか言葉を捜しながら、結局それを見つけられないでいた。安い同情は意味を成さないだろうし、何せ自分は彼女のような経験をしたことがないのだから、その言葉の薄さといったらないだろうと考えてしまうリッタは、言葉尻を濁すのみだった。

しばらくの沈黙の後、ジークがその空気を打破するかのように呟いた。

「そういえばよお、何だってリッタはフランの夢の内容を気にかけていたんだ?」

「はい。それはもしかするとこの作戦の成功率を上げる鍵を握るかもしれないからなのです」

リッタはそういうと、フランを改まって向き直る。

「フラン様。その光の向こう側は、どこに通じていたのですか?」

リッタの言葉にフランは地図を眺める。炎上していたベデヒティヒを目視できた小高い場所。それから目測するに。

「多分、この辺だと思う」

フランはカープフォートとベデヒティヒの丁度中間程の位置を指差したのだった。

 

 

 

作戦室の前には、このアジトに住まう老若男女全ての人が集まっていた。

それを目の前に、この軍の代表である正当な王位継承権を持つフランティスカ。軍師のマルガリータ。元千騎長でこの軍を立ち上げたクラウス。その弟子であり百騎長のジークが両脇に控えている。

大勢がフランの第一声を期待し、子供達の小さなささやき声さえあれど、皆が黙っている。前回皆の前で演説した時は、フランがまだ王だと認識されていたなかったこともあったが、今回彼女は全員から王として迎えられているのだろう、どこか緊張感を全体で共有しているかのようだ。

それに答えるかのように、フランは意を決し、皆の前に進み出る。

そして一度大きく深呼吸をする。それは少女から王への意識的な切り替えだ。

「ようやくこの日が来ました」

フランは、噛み締めるようにゆっくりと、だがよく通る声を響かせた。

「今、この国は悲しみに満ち溢れています」

様々な光景が去来しているのだろう、フランは目を閉じながら言葉を紡ぐ。

「そして今日。私達は国に蔓延る悲しみを、拭い去る為に立ち上がります」

目を開けて、自分達の目の前に居る兵士やその家族達を見渡す。

皆フランのことを真摯に見返している。

「この戦いで私達は、多くの物を得、そして失うでしょう」

痛みの無い革命などありはしない。今回は無血とはいかないだろう。

「私はまだ王として未熟です。きっと私が至らぬばかりに、余計な犠牲が出てしまうかもしれない」

自分の弱さを露見させる。自分の不安を顕にする。

そのことは兵たちの士気に影響してくるだろう、難色の色を浮かべるリッタに、クラウスは首を横に振る。

「ですが、この戦いは私が信頼する人達と一緒に考え抜いたものです。できるだけ被害が出ないように配慮したものです」

フランは自信を持ってそう告げる。よほど信頼しているのだろう。

 

「ですから、私を信じてください。私の信頼する人を信じる、私を信じてください。不安に怯えずとも、皆さんのことを、相手のことを。この国のことを救う戦いにしてみせます」

 

そういうとフランは息を大きく吸い込んで、満面の笑みを浮かべる。

 

「さあ、それではこの国を救いにいきましょう。皆さんの力を貸してください!」

 

そのフランの言葉に大きな歓声が上がった。

 

 

 

「まま、おとうしゃんは?」

少女は言った。

「起きたの? まだ暗いわよ」

少女の問いに答えづらそうに、母親は子供の頭を撫でる。

「おとしゃんは?」

心配そうに辺りを見回す少女に、母親は観念したかのように少女に微笑みかけた。

「お父さんはね、この国を救いに行ったのよ」

「この国を?」

それに母親は頷いた。

「この国はね、今病気なの。だからその病気を治してあげないといけないのよ」

「おとしゃんは薬なの?」

少女は顔をしかめる。一度だけ飲んだことがある薬の苦味を思い出したのかもしれない。

「そうよ。ひどい病気だから、たくさん薬を飲まないといけないの。そのうちの一つなのよ」

母親は子供の表情が伝播したかのように、その顔を顰めた。

「早く病気が治ると良いね!」

子供はそう言うと、布団を飛び出した。

「どこに行くの! もう遅いのよ!」

「お月さまにお祈りしてくるの! おとしゃんが頑張って、お国を治しますようにって!」

少女はそう言うと家の外に出て、月を見上げた。

「おとしゃん頑張って、お国を治してね!」

祈る少女の横で母親も少女に苦笑しつつ、同じように目を瞑る。きっと祈っているのだろう。

「これで大丈夫ね。さあ、早く寝なさい」

「はーい」

少女はそういうと、家の中に入っていく。

それを見届け、母親は再度月を見上げる。

空に浮かぶ月は真円であった。

 

 

 

光沢のある床を蹴る音が、城の中に響き渡る。

「ほ、報告です!」

王座に座るエヴィンカー。その右の柱にはロートヴァルト軍師のカーンの姿。彼らの前に一人の兵が傅いた。

「申してみよ」

カーンのその言葉に、ハッ、と歯切れの良い声を出す兵士。ただ、その内容は素っ頓狂なものだった。

「水路に、水路に大量の水馬が走っております!」

その意味を理解しかねる内容はこういうものだった。

この国には網目のように小川があり、ロートヴァルトはそのいくつかの小川から流れる水を水路に取り込むことで、水を得ている。その小川から大量の水馬が水路に入り込んできたというのだ。

「現在、水路から城下に入り込んできた水馬を捕獲しているところです!」

放っておけばそのうち収まるだろう。だが、それより頭が痛いのはそれによる二次的な被害である。

「水路の方はどうなっている?」

カーンの言葉に、兵は神妙な顔で頷く。

「はい。まだ水馬が入り込んできているのでなんとも言えませんが、奴等の足で石が砕けてしまっているかと」

それは最悪の場合、一時的に国に水が入ってこなくなるということだ。それに水路の方はまだ大丈夫だったにせよ、それだけのことが起こったなら水は濁り、一時的に水が使えなくなるのは必然だ。早急に鎮圧次第、相応の対応が必要だといえる。

「それで、その水馬はどこから浸入してきたか分かるか?」

「いえ、詳しくは。最近野生の水馬が多いとはいえ――」

彼の報告にカーンは内心で毒づく。確かに最近、村を見せしめに解体することが多い。無論それはエヴィンカーの娯楽であることが多いが、その際にあまり家畜として利益を生まない水馬は奪うとかすることもなく、そのまま野生に戻すことが多い。エヴィンカーが好むのは人殺しであり、家畜などの死は臭いやら汚いやらと難色を示すのだ。カーンに言わせて見ればそのようなもの五十歩百歩だと思うのだが。

だが、野生の水馬がこのようなことをしでかすとはとても思えない。

カーンがそのようなことを考えていると、再度謁見の間に足音が響く。

「次から次に、何事だ!」

機嫌悪そうにエヴィンカーは入ってきた兵に問いただす。

「も、申し訳ありません、報告です!」

水馬の暴動を報せた兵の隣に、入ってきた兵は同じように傅く。

「し、城が包囲されました!」

「な、何だと! どういうことだ! 反乱軍か!? もしや、ヴェルゴスか!」

だが、そのように鼻息を荒くする王の言葉は、兵士に否定される。

「い、いえ。それがどうも、野盗達のようでして」

「や、野盗? なんじゃ驚かせよってからに」

王はそこで先ほどの威勢は萎えてしまったのか、玉座に座る。

この城を包囲するような軍勢は先日から話に出ている反乱軍が筆頭だろう。だがこれには倍の戦力差を裂くという手を打ってある、それが故にそれらを打破してこの国を包囲するとは思えない。できたとしてもそれほどに戦力が残った状態であるとは思えない。

その線を消すならば、残るはエヴィンカーが最も恐れているヴェルゴス以外に考えられなかった。いくら形の上で傘下に下ったとはいえ、いつそれを反故されるか分からないのだ。故に彼は先ほどのような反応を見せたのだが、それが歯牙にも掛けていない、というより想定さえしていないような相手だった故に、その脱力感といったら無いだろうとかーンは思った。

「そのようなものさっさと皆殺しにすれば良いだろう。相手は国に蔓延る害虫じゃ。構わん殺せよ」

「そ、それがですね――」

「なんじゃさっきから! ええいまったく、鬱陶しい!」

「野盗の数、詳しくは分かりませんが目算で約二○○○! それがこの国を囲っております! しかもあちらこちらに火の手が見えることから、各地にまだ五○○以上待機しているかと」

「な、なんじゃと!」

再度、エヴィンカーはその報告により驚くことになった。

エヴィンカーが玉座ににて声を上げて唸っているの眺めながら、どうしたものかと思案に暮れていたカーンに、直属の兵が近寄る。

「どうした?」

「はっ、国境沿いから緊急の報告です。キェイルドー軍と思われる兵と国境で交戦中とのことです」

「何、それは本当か?」

頷く兵士に、カーンは唸る。

キェイルドーの狙いとはなんだ? そもそもキェイルドーはヴェルゴスの傘下。つまり自分達と同格のはず。それを狙うということは、単純に国力の増加を狙ってか。それとも物資の輸出を出し惜しむ様がヴェルゴスの逆鱗に触れたか。

どちらにせよこの水馬の暴走と良い、野盗と決起と良い、どうやら裏こそ取れないがどちらにせよヴェルゴスの仕業なのだろう、いくらキェイルドーが起こしていたとしても、結局のところその力はヴェルゴスのものになるのだ。それならば敵はそっちだと考えた方が良い。どの道現状を切り抜けたところで、キェイルドーを盾にヴェルゴスは知らぬ顔をするのだ。

結局はこうなるのだとカーンは思った。

得体の知れない国を頼って力を得たが故の代償だと。

もしかしたら先日の反乱軍と良い、もしや裏で内通しているのではないかとカーンは考える。それならばこの同時期に起こることに納得がいくのだ。

いや、むしろ。

考えが一回りしそうだったのでカーンは思考を切り上げた。ここからは鼬ごっこだ。

兵を裂かぬわけにはいくまい。だが、先ずは野盗をどうにかしないと国境へは兵を送れない。ならばある程度キェイルドーに国土を踏ませてしまうことになるが仕方ないだろう。と考えたところで彼は王に進言する。

「王、キェイルドーが国境を攻撃してきたそうです」

カーンの言葉に、エヴィンカーは再度驚くことになった。

彼からの指示は、カーンが想定したものであり、彼はこの事態における適切な処理を始めた。

 

 

 

「良くこんな場所にあるって分かったね」

周囲をレンガで囲まれた通路を、フランとリッタ。そしてクラウスと三名の兵士が走る。

「はい。城には緊急を要する際に使用する避難路があるものです。この国にある五つの城は、中央に存在するロートヴァルト城を模して作られていますので、地図から地形を逆算してやれば、その非難口を見つけるのも容易いことです」

なんでもないようにリッタは言うが、フランはそれが如何に非凡なことであるか分かった。

先ほどの会話から分かるように、彼女達が現在通っている通路はロートヴァルト城へと続く避難路である。

フランが幼少時にベデヒティヒから逃れる際に使用した通路が、ロートヴァルトにもあるだろうとフランの夢から推測したリッタが提案した作戦が、危険を冒しての突入ではなく、奇策とも言える侵入であった。

無論、彼女の頭脳があっての作戦といえるだろう。

ジークは反乱軍を率いて、大掛かりな陽動をしている最中だ。

クラウスが死んでいるという前提があり、尚かつこの突入を一層目立たなくさせるためのいわば囮である。

様々な策を用いることで、反乱軍の軍師であるマルガリータはこの圧倒的な戦力差を覆そうとしていた。

無論、そのような理由が主であるが、自身が仕えるフランがなるべく無血での終戦を望んでいたため、様々な策を弄することとなったのだ。もちろん、それが苦であったことは一度もない。自分の知恵が役に立つことは軍師として最大の誉れであるし、何より初めて自分の事を友人だと言ってくれた人の役に立てるということは、リッタにとって変えがたいことだった。

「ジークさん、大丈夫でしょうか?」

フランの呟きに、クラウスはそれを豪快に笑い飛ばす。

「なあに、アヤツのことなら心配には及びませぬ。ワシの信頼する男の一人ですからな」

とうとう自分の人称が戻ってしまっている彼に、リッタは思わず苦笑する。それに気付いたクラウスは少しバツが悪そうに笑った。

「一人ということは、まだ誰かいらっしゃるんですよね?」

フランの言葉に、クラウスは咳払いをする。どうやら種を撒いてしまったのは自分だとはいえ、その話には触れて欲しくないようだ。だが彼は、そうですな、と十分に溜めた後に。

「ワシのもう一人の弟子。シュバルツです」

シュバルツの名前を聞いた途端に、フランの体が震えたのを、リッタは見逃さなかった。

あんなにも美しく強い人が、自分の敵なのだという事実に震えがきたのだろう。

「でも大丈夫ですよね。シュバルツさんは銀の鷹を率いて、アジトに向かっているはずですから」

だから戦うことはない、とまるで自分に言い聞かせているかのようなフラン。さすがにクラウスとその信頼における弟子と戦って欲しくないのだろうと、リッタは思った。

「さあ、お喋りはそれくらいにしましょうか。そろそろ出口ですぞ!」

クラウスの言葉にリッタは前方を見上げる。確かにもうすぐであの光に手が届くだろう。そしてあの光の先にこそ、この戦いの行方を左右する出来事が待っているのだ。

リッタは自分達の突入の為に陽動を買って出てくれたジークの事を思い出す。フランを自分の手で守りたかっただろう彼を、陽動に使うことこそ一番効果的だと分かりつつも、やはり後ろめたさが付きまとった。

それを察してくれたジークの、俺の代わりにフランを頼む、という言葉を、リッタは反芻する。

光は。戦いは。すぐそこだ。

 

 

 

王宮内はまるで静謐に囲われているかのように、静けさに包まれていた。

いや、無論耳を澄ませば辺りから物音が聞えてくるのだが。

レンガの通路を抜けた先は、ロートヴァルト城の中庭だった。木と草の人形(モニュメント)で巧妙に隠されたその出入り口は、確かに内通しているものでない限り発見することは不可能であろう場所に隠されていた。

その中庭からフラン達は誰に見つかることも無く城内に侵入し、現在王座のある広間に向かう為に廊下を走っている。

「人が見当たらないね」

走りながらフランはリッタに同意を求める。

「はい。できるだけ人員を外に割くような采配をさせる策を講じましたので」

少し息が切れながらもリッタは胸を張って答える。

「現在のロートヴァルトは野盗が多いですし、それに堕ちる前段階の人々も多数います。そこでその農民の方々に一揆を提案します。それに実際の野盗達にも協力してもらっていますしね。事実彼らは元の生活に戻りたいと願っています。この国の一番の被害者でもありますからね」

「そうだね。彼らだって本当はこんな生活したくないって言っていたし」

「そうですね。まあ、最初フラン様が提案したときは驚きましたけどね」

そう、野盗を使うという策は、フランが考えたのだった。最初リッタは農民を扇動して一揆を起こしてもらいつつ、国境の兵士を倒し、キェイルドーが攻めてきたという偽装情報を流して混乱させつつ、水馬を城下町に浸入させつつ、反乱軍を使ってそれを延髄に進めつつ、ある程度の人員で攻撃するという、四重にも及ぶ策を講じていたのだが、それに野党も加えてはどうかと提案したのはフランだった。

最初こそ情報漏洩の懸念を訴えるクラウスとリッタだったが、ある野盗に貸しがあると言う彼女の説明を聞くに、自分の母親を殺した野盗伝いにこの国全ての野盗を説得できるのではないかというものだった。

危険すぎると一度は反対されたが、あまりにも強いフランの主張に最低限の護衛を付けてその仇とも言える野盗に再会し、説得したのだった。

ちなみにクラウス達はそこでフランの王としての才覚を改めて思い知ったのだが、これは別の話である。

そのようなことがあり反乱軍は実質、二○○○を越える兵力を手に入れたも同然であった。そして、リッタが講じた策もありロートヴァルトは現在、その鎮圧に力を注がないといけないという状況に陥っていた。

フラン達が誰に会うこともなく廊下を走っていると、二手に通路が別れた。

「クラウスさん、どっちですか?」

「右ですな。左は軍略室です」

彼女達はその言葉通りに右に進もうとする。だが、フランはリッタの足が止まっていることに気付いた。

「どうかした? リッタ」

正直に言えば、そのようなことをしている場合ではないのだが、そんなこと分かっているだろう聡明な彼女が、思わず立ち止まってしまったのだ。そこでフランは思わず彼女と同じように立ち止まり声を掛けた。

「フラン様。私の我侭を聞いていただいて構いませんか?」

「――なに?」

「私の軍師としての役目は既に果たされております。そしてこれは軍師としてではなく、マルガリータ個人の願いであり頼みなのです」

要約すれば自分の仕事は既に終わったのだから好きにさせてほしいということである。彼女の性格からすれば、それはとても考えられないことだが、現に彼女はそう言った。

「どうかしたの? リッタ。らしくないよ」

その言葉に静かに頷くリッタ。

その重々しい口が開く。

「私が反乱軍に参加する日のことを覚えておいでですか?」

リッタの言葉。その願いは――。

「お父さんを止めたいんだったよね」

それに頷くリッタ。

「軍略室に。私の父が居るかもしれないのです」

「そっか。それじゃあ、私達も――」

「いけません」

リッタの言葉にフランは言葉を詰まらせる。

「どうか、私の事は構わずに革命を成し遂げてくださいませ。でないと。この革命が成されなければ、苦しみの連鎖は誰が断ち切るのです」

リッタはそういうと、フラン達に背を向ける。

「軍師の私が本来、このようなことをすべきではないと重々承知なのです。ですが、私を本当に友人だと思ってくださっているのであれば、行かせてください」

そういうとリッタは、返答も聞かずに走っていく。

どうすれば良いのか分からないフランは、クラウスの方を向き直るが、彼は首を横に振るだけだった。

「どうしても譲れぬ道がございましょう。ただ、彼女にとってそれが今だったというだけのこと」

クラウスの言葉に、フランは何かを飲み込むように深呼吸を一度すると、頷き、走り出す。

そう、終焉は近いのだから。

 

 

 

フラン達が廊下を走ってたどり着いた先は、一つの扉。

クラウスの話では扉の向こうは広間になっており、その広間の向こうに続く廊下を行けば、玉座とのことだ。

もうすぐだとフランは思いながら、美しい花を象った彫刻のなされた扉に手を掛ける。実際にはあまり重いものではないのだろうが、緊張感からかとても重いものに感じられた。

音を立てて開く扉。

その扉の向こうに、一人のまるで作り物のように美しく流麗な男が一人、その床に座している。

そう、シュバルツである。

瞑想でもしていたのか、彼はフランが息を呑むのと同時に目を開ける。

「ようやくお出ましですか。お待ちしておりました、フランティスカ様」

彼はそう言うと前に寝かせていた天音を手に取り立ち上がる。

「反乱軍のアジトに行かれたのではなかったのですか?」

「いえ、わが国の優秀な軍師であるカーンからそれを止められましてね。どうも貴方達反乱軍と内通していると疑われていたようです。まあ、そのおかげでこうして貴方達と見えることができたのですが」

ゆっくりと。まるで流れるような動作で天音を構えるシュバルツ。自身の愛剣である古水はまだ腰に掛かったままだ。

「どうして戦わなければいけないのですか? クラウスさんの弟子なのですよね? それなのに何故!」

当然の反応をするフラン。それをシュバルツは涼やかな目元をフランに向ける。

「力なき王に、国を治めることはできません。覚悟だけでは王になれないのです。確かにこの国の現状は酷い有様だ。しかし、貴女が王になったところでそれが改善されるのでしょうか? 確かにまともにはなるかもしれない。だがこの国の隣には、ヴェルゴスの傘下にあるキェイルドーがあります。エヴィンカーは確かに王としての才覚は無いかもしれない。だがある意味で、ヴェルゴスに従うという方法でだが、彼はこの国を守っているのです。いくら内政が上手くとも戦が下手では今後、更にこの国の内情は悪化するかもしれません」

そう、確かにシュバルツの言う通りである。

王としては最低であろうとも、結果として(本人はそういう意図でないということは明白であるが)エヴィンカーは国を守っているのである。自分の我侭に国で遊んでいるように見えるが、結果として国を守っているのは疑いようが無い事実なのだ。

そう、彼は国を守っているのだ。民を守っていないだけで。

だが。

だがフランは、クラウスに護身用として腰に掛けていた長騎剣(渋々だったが)を抜き、それをシュバルツの前に突き出す。

「確かに私には国を守る力は無いかもしれません。けれど、その方法は間違っています!」

ただでさえ沈黙に包まれている広間は、フランの声で更にその静けさを増す。

「ほう? どう間違っているというのですか?」

剣を向けられたシュバルツは、苦笑しながらフランを正面に捉え、天音を構える。

それを見た三人の兵が剣を抜き、フランの前に出ようとするが、無言でクラウスに止められた。

 

「国は王の物でありません、民の物です! その国が、王が、民を不幸することなんて間違っています!」

 

フランのその言葉に、シュバルツは一拍置いて苦笑する。

「面白い人だ。しかし、その理論でいくと民が居ない国は国で無いのでしょう。それならば、どういう形であれ、王には民を守る力が必要でしょう。これのどこが間違っているというのです」

シュバルツの聞き心地の良い声は、しかしながらフランの思想と真逆のことを言うのであった。だが、フランはそれに負けじと更に叫ぶ。

「間違っているに決まっているじゃないですか! そもそも、そんな難しい話ではないです!」

「ほう! では、どういうことなのですかな?」

シュバルツの試すような声に、フランは一息吸って。

 

「何故、民は不幸だけど国は活きているか、国を危機に晒して民を良しとするかの二択なんですか! 私はどっちも幸せにする道を選びます!」

 

「ははは。大それたことを言う人だ。貴女にそのような力があるのですか?」

まるで最初に戻ったかのようなシュバルツの問いに、フランは胸を張って自身あり気に。

「ありません! 私に力なんてこれっぽっちもありません!」

と、まるで誇るように言うのであった。

「ふん、それでは! それではこの国は更に不幸に――」

シュバルツが何か言いかけるのを遮る形で、フランは剣を降ろしながら口を開く。

「もし、私に力があるとすれば、信じることくらいです」

「なっ! 信じる、ですか?」

驚くシュバルツに頷くフラン。彼女は鞘に剣を収める。

「私は本当に何もできないのです。最初こそ色々なことを考えてこの国を良くしなければと考えていました。いえ、今だってそれは考えています。でも、それにはどうしても限界がありました。でも、私は一人じゃないのです。クラウスさんや、ジークさん。それにマルガリータ。他にも多くの人が私の周りには居てくれます。皆で。そう、それこそ私を含めた民が一丸となれば、きっと国も守れますし、幸せにもなれると思うんです!」

自信を持って言い切るフランは、あの日、母を失い悲しみに暮れていた頃とは別人のようだった。様々な人に出会い、成長したのだろう。

「そ、それでは王の、貴女の意味なんて無いじゃないか!」

そう、当然のように聞えるシュバルツの意見に、フランは首を横に振る。

「いいえ、それでもやっぱり王様の意味はあるんです。私もそうでしたから分かります。人は自分の意思を持っていても、やっぱり不安になってしまうんです。だから王様は、それに頷いてあげる人なんです。国のことを思って考えてくれたんでしょ? うん、それで良いよ、ってその人の意見を肯定してあげる人が、王様なんです」

それが、フランティスカ・フォン・ロートヴァルトの王としての考え方だった。

考えて、考えて、考え抜いた先にあったのは、このような結論だった。

無論、一人で至ったのではない。様々な人に教えられてこの境地に至ったのだ。

「なるほど。クラウス様が貴女を認める理由が分かりました」

シュバルツのその呟きに、フランは微笑む。

「ですが私も騎士の端くれ。二人の主君に仕えるわけにはいきません!」

そういうとシュバルツは天音をフランに突き出し、構えを取る。一切の隙を見せないその構えは、いくら得意な得物ではないといえど、ある一定の水準を越えた達人であることを窺わせた。

「どうしても戦うのですか?」

フランは後退しながらシュバルツに問う。

「はい。これは私個人ではなく騎士として譲れない所なのです。いくら貴女に可能性を感じようと、騎士シュバルツとしては、我が王を打倒しようという貴女を、ここで倒さないといけない」

真っ直ぐに、言い放つシュバルツ。そしてフランを庇うようにしてクラウスが前に出た。

「クラウス様」

シュバルツの言葉に、無言で構えを取るシュバルツ。その構えはまるで鏡合わせのように左右対称。それは二人が完全に師弟であるということの証明。

「シュバルツ。最初はこれから始まったのだ。最後もこれで終わろうではないか」

クラウスの言葉に、シュバルツも無言で頷く。

「クラウス。殺すことは許しませんよ」

「分かっております。ですがこやつの実力、本気でやらねばやられるのはコチラ」

そう彼が言い終わるや否や、周囲は吐き気を催すほどの殺気に満ち溢れる。お互いがお互いを殺す幻視(イメージ)が濃すぎるのだ。何千通りもの手を幻視しあう彼らの状態はまさに一触即発だといえる。

そして。どこからか聞えてきた物音をきっかけに、二人は同時に爆ぜた。

 

 

 

「こちらでしたか、お父様」

「ふん、誰かと思えばお前か、マルガリータ」

様々な書物が山積みになっている部屋で、二人は相対していた。

背に大きな窓を背負い、大きく広い机の正面と奥で娘と父親は話し合う。

「戦場に出ておいでだと思っていました」

「ふん、よく言う。あれほどの数の策を張っておいて、戦陣で指揮を取れるはずなかろう」

フランには黙っていたが、様々な策を講じたのはこういう意図もあったのだ。

戦陣で指揮を取られて革命が起きたのだと雲隠れされるわけにいかないと、彼女は様々なことを張り巡らせていた。

「やはり気付いていましたか」

「薄々だがな。キェイルドーの侵略にしては芸が細かすぎる」

そこでカーンは苦笑した。

リッタは父のそのような姿を初めて見た。いつも難しそうな顔をしている父の顔しか見たこと無かった彼女にとって、それは初めて見る父の笑う顔。

そのなんと新鮮なことか。それを見たリッタの中に説明の付かない、なんだか分からない感情がこみ上げてくる。だが、彼女はそれの正体を知らぬまま、そして知ろうともせぬままに父に問う。

「お父様、お聞きしたいことがあります」

「何だ、マルガリータ。お前が私に聞くことなぞ、何もないだろうに」

そう皮肉気に笑うカーンを見て、リッタは一拍置いた後。

 

「何故、お爺様を殺されたのですか?」

 

そう尋ねた。

「ふん、なるほど。どうしてそう推測する」

「お爺様の墓を見ました。そして遺体を見たのです」

それを黙って聞く父、カーン。まるで子供の成長を見守るかのような雰囲気だ。ただ違うのは彼の顔が慈愛に満ちていないことだろうか。

「墓を暴いたか。私はお前にそのような教育をした覚えは無いのだがな」

「貴方に教えていただいた事は一度もありません」

「違いない。続けろ」

苦笑しながら先を促すカーン。

「お爺様の死体は、死んだ当時のまま(、、、、、、、、)でした。腐敗していなかったのです」

その彼女の言葉に、カーンの体は一瞬硬直するも、すぐにそれは弛緩する。

「私達の村がこの重税に耐えられているのは、農作物にある薬品を撒いているからです」

突然話が変わるが、二人の間には特別な間は存在していない。つまりこれは話の延長線だということだ。

「その薬品は、虫が作物を食わないようにするものなのですが、直接摂取すれば人体に悪影響を及ぼします。故に、私達の家系はそれを流通させること無く、私達だけが管理し、そして使用してきたのです」

作物とは種を撒いた分だけ収穫できるものではない。必ず虫に食われたりして収穫が減ってしまうのが当たり前だった。だが、リッタの居た村では防虫剤を使うことでそれを減らしており、それが重税にも耐えられた理由でもあった。

「そしてその薬品は、防腐効果もあるのですよね、お父様」

「ふっ、ふっはっはは! その通りだ。さすが我が。いや、奴の孫と言ったところか!」

傑作だと言わんばかりにカーンは笑う。その声の大きさに、そして父がこのような声を出して笑うという事実に、リッタは驚いた。

「何故このようなことをしたのですか?」

「何故!? はっ、貴様や奴には分からんだろうさ、私のことなんてな!」

「ですから! 分からないから説明してくださいと言っているのです!」

リッタの声に、自嘲気味に笑っていたカーンの声は止まり、真っ直ぐに自分の娘を見る。自分が知っている彼女は、こんなにも人間らしい少女であったのかと。

「お前も知っているだろう。お前の祖父であり、私の父、ゲオルクの優秀さを」

カーンの吐き捨てるようなそれに、リッタは頷いた。そう、痛いくらいにその事実は知っている。彼の近くに居れば、自分がどれだけ矮小な存在であるかということを再確認させられるのが常だった。

「お前はアレにまだ近い。だが、私は母に似たのだろう。とても奴のように優秀になれなかった。だが、周囲は私にそれを許さなかったのだ。奴の息子なのだ、さぞ切れるのだろうと。確かに私だって並の者よりはできるほうではあった。だが、周囲が望むのは奴のような、まるで奇跡を見るかのような勝ち戦の構築であり、必然的な豊穣を約束する内政だ。私にはそれが、やはり周囲の者と同じように、奇跡にしか見えなかったのだ」

苦々しくカーンは吐き捨てると、リッタはそれに頷いた。

そう、彼女にだって、彼の手腕は圧巻の一言であった。彼のような功績を残そうと思えば、それこそ未来でも読むしかない。それほどに彼の知識は卓越していたのだ。カーンはリッタをゲオルクに似ているというが、彼女にとってもやはり、自分の祖父は計り知れない人であった。そう、リッタにでさえ。

カーンまでの距離を逆算できた彼女でさえ、祖父という存在は計り知ることができなかった。

「その圧力から、ですか?」

「ふん、そのような真っ当な理由ではない」

「では――」

何故、と問おうとしてカーンが口を開いた。

 

「――私は、嫉妬していたのだ。お前にな」

 

彼女の父親はそう答えた。

「私に、ですか?」

「そう。私は父から何も教えてもらうことができなかった。否。それを吸収することができなかった。だが、お前は父から直接教えを請いそれを消化していった。私が幼少時から夢に見つつも決して叶わなかったそれを、お前はいとも容易くこなしていった。それを見て父は、更にお前に教育を施した。私が長年夢見たもの、関係を、お前は私の半分も生きていない癖にそれを達成したのだ。端から父に見限られていた私は、お前の才能に嫉妬したのだ」

こんなにも感情のある人だったのかとリッタは思った。

今やカーンの表情には怒りと妬みが混在し、耳を澄ませば歯軋りさえ聞えてくるような表情であった。

「つまりお父様は――」

そう言うリッタは悲壮を浮かべながら問う。その表情に、心境に、彼女は自分のことでありながら気付いていない。

 

「そうだ。私はお前から父を取り返したかっただけなのだろうな」

 

これは既に終わってしまったこと。

自分の中に住まう何かに突き動かされ、気付いたら終わってしまっていた。

先ほどの表情と打って変わり、カーンは今のリッタと同じ。否。哀愁を浮かべていた。まるで自白したことにより、自分を客観視したことにより憑き物が落ちたかのようであった。

「私は祖父の墓前で約束しました。貴方の仇を取ると」

リッタは静かにそう言うと、この空間をゆっくりと支配しはじめた。いつもの彼女を知るものからすれば、その展開があまりにも遅いことに気付いただろう。

彼女はいつまで経っても気付かない。自分の頬を伝う何かに。

彼女はいつまで経っても気付かない。自分が今陥っている感情に。

そんな彼女を見てか。カーンは苦笑する。

「変わったな、マルガリータ。いや、マリー」

それはリッタが自分の家族から呼ばれていた愛称だった。寡黙であったカーンはリッタと話すことは無かったが、その愛称は知っていたのだろう。

彼女の母親は彼と、自分の最愛の娘をそう呼んでいたのだろうから。

「良き、友人に、巡り合えましたので」

嗚咽を交えながらリッタは自分の父に集中する。

だが、方向性がちっとも定まらなかった。いつもはあんなにも簡単に狙いを付けられるというのに、今はまるで自分ではないかのように空間の認識も標準も感情も暴れ狂っている。

「そうか。良かったな」

そのカーンの声は、今までの拒絶した触れ合いを、会話によって行っているかのようであった。

「はい、――はい!」

噛み締めるようにリッタは頷く。

「きっと父はこうなることすらも予測していたのだろう。きっと自分の死すら、私の行動すら見通し、この帰結も。それによる今後さえも把握していたのだろうな」

カーンはそういうと真っ直ぐに力強く、リッタを見据えた。

「つまりこれでようやくお前は完成するのだろう。ゲオルクは自分と私の死を持って、マルガリータという一人の作品を完成させるつもりだったのだろうな。なるほど。そう考えれば私は十分に父から期待されていたわけだ」

そう、カーンは自嘲染みた笑みを浮かべる。

「ならば構わんさ。私はお前を受け入れる。これが最初にして最後の、父親としてお前にしてやれる最後のことだ」

彼はそう言うとリッタに頷く。それの意味していることを知っているはずなのに、リッタはここにきて首を横に振ってしまう。

「お父様! 私には――」

リッタの悲痛なそれを断ち切るかのように、カーンは自分の娘と同じように首を横に振った。

「マリー。私がまだ親として振舞っている内に。父の愛を感じられているうちに」

彼はそう言い終わると、ゆっくりと何かを肯定する。その何かをリッタは自分の中で肯定したくなかった。先ほどから自分という存在が曖昧だとリッタは思った。

「これが最後だ。次の言葉を遺言とする。終わると同時に、良いな? お前が私を父として認めてくれるのであれば、情に流されたりするのではないぞ」

「あっ、あ、待って! 待ってください! お父さん! いゃ、ねぇ! まだ話を!」

リッタの声を遮るかのように、カーンは今まで見せた事の無い。いや、恐らく作ったことも無いような、父性を携えた優しい表情をリッタに向ける。

 

 

「さあ! 父の最高傑作にして、我が最愛の娘! この国の物語をお前の手で紡いで行け!」

 

 

彼の言葉が終わるのと同時に、待機させていた空間の歪みから炎が生まれ、確かな方向性を携え走る。一度決めてしまった命令は使い手の心情を無視するかのように。それでいて忠実であった。

そして、リッタの悲痛な叫び声と共に部屋に爆音が響いた。

 

 

 

 

リッタの魔法による爆音を皮切りに、二人の戦士が同時に爆ぜる。

一人は元ロートヴァルト軍の千騎長にて、反乱軍を組織したクラウス。

一人は現ロートヴァルト軍の千騎長にて、相対する男の弟子であったシュバルツ。

お互いはまったく同じ型で槍を交差させ、すぐにその場を離れた。まるで鏡合わせのような二人は、同じ志を持ちながら立場上の都合により相対していた。

「シィッ――」

シュバルツの稲妻じみた連突は、クラウスの絡め取るかのような槍捌きにて防がれる。

先ほどの爆音から既に三十合の打ち合いを終えた二人の騎士を、フランは真っ直ぐに見詰めていた。彼女の後ろの兵士達はあまりの次元違いの攻防に目が追いついていないのだろう、必死に二人を目で追っていた。

金属同士のぶつかる高い音が鳴り、シュバルツは一度距離を取る。

思わず息をするのを忘れてしまっていたのか、兵士達と同時にフランは大きく深呼吸をした。二人の攻防は一瞬でも見逃してしまえばそれで決着がついてしまうほどの濃密な生死のやり取りであり、それは見るものを確実に釘付けにする。

なるほど。例えるなら出来の良い芝居のようなものなのだろう。生死を掛けて戦う二人の男が放つ様々な絶技は、あらゆる芸術と並んでも引けをとらない。

「さすがだな、シュバルツ」

僅かに乱れた呼吸を整えながら、クラウスは相手を。自分の命を貰い受けようとする相手を褒め称える。

「ありがとうございます。ですが、お互いに本気でなければ意味がありませんね。続けようと思えばこのような戯れ、延々と続けられるのですから」

そういうとシュバルツは、自分の手にしていた得物。天音をクラウスに投げ寄越す。彼はそれを難なく虚空で掴んで見せた。

「ふむ、良かろう」

クラウスはそういうと、先ほどまで持っていた槍を後ろに放り、自分の愛槍を掴むと頭上で回転させた後にシュバルツへと穂先を向けた。

それを見ていたシュバルツも、ゆっくりと自分の本来の得物である美しい模様の入った長騎剣、古水を抜き正眼に構える。

ここに来て、二人の間には再度沈黙が流れる。

お互いに自身の最も得意とする得物を持ち、自身の最も得意とする距離(レンジ)で、自身が一番認めている相手と相対しているのだ。こうなるのは必然的だったと言える。

互いが必殺を繰り出す瞬間を窺うのは、この勝負が先ほどのように長引くことは無いと悟っている為。相手より弱い手を出した方が負けるのであれば、これから繰り出される手はお互いに最強の一手であることは必然である。

フランは軽く自分の体がどこか浮き足立っていることに気付きながらも、それを必死に堪えていた。体が今にも震え出しそうで、何かをしないと落ち着きそうにない。だが、それをしてしまえばきっとこの二人にきっかけを与えてしまうことになる。

自分の出したきっかけのせいで、それを少しでも案じてしまったクラウスに邪念が入ろうものなら、きっと彼は瞬く間に敗北してしまうのではないか。そのような考えからフランは体の震えを必死に押さえ込んでいた。

そして、両者の拮抗を崩したのは他でもない、頬を赤くしながらも走ってきたリッタが扉を開けた音だった。

その音で二人は爆ぜる。

リッタがその光景に対し声を上げるより早く、お互いの体は交差していた。

交差したままの格好で、二人は立ち止まる。

先に行動を起こしたのはクラウスだった。

「シュバルツ。お主――」

「さすがですね、クラウス様」

そう言うと、シュバルツは床に膝を着いた。

「馬鹿を言え。直前で軌道をずらす奴があるか」

クラウスはぼやきながらもシュバルツの元に駆け寄る。まるで金縛りが解けたかのように、フランやリッタ達もそれに続いた。

「それはこちらの台詞です。クラウス様。これは何の茶番ですか」

シュバルツは咳き込みながらも続ける。

「天音の腹をぶつけるなんて、最初から私を斬るつもりはなかったということですか」

シュバルツはクラウスを睨む。

「つまり、最初から二人はお互いを立てようと思っていたんですね」

フランの言葉にクラウスとシュバルツは顔を見合わせ、そして笑った。

「そうですな。ワシは自分の代わりをシュバルツに引き継がせるつもりでした」

「私もです。革命こそ我が願い。主君を裏切ることができないのですから、そのまま散るつもりでした」

シュバルツは苦笑する。結局のところ自分達はいつまで経っても。離れていても。志を同じにした師弟同士だったのだと。その事実がシュバルツの憑き物を落したかのようだった。

「それにしてもクラウス様は酷い。私に罪悪感を背負わせ、自分の代わりにしようだなんて」

「だが、お主ならそれを聞き入れてくれただろう?」

口元を上げるクラウスに、美麗の騎士は笑いながら、そうですね、と呟く。

「シュバルツさん。一緒に行きましょう」

フランはそう言いながらシュバルツに手を差し伸べる。

「私は――」

「二人の主君に仕えないのでしょう? でも、貴方は今クラウスさんに負けましたよ」

「そういうことではないのです」

シュバルツの苦笑を、真っ直ぐにフランは受け止める。

「騎士としてのシュバルツさんはクラウスが殺しました。今ここに居るのはクラウスの弟子であるシュバルツさんです。違いますか?」

屁理屈だとシュバルツは思った。

「そうですね。でなければ敵に囲まれたこの状況で、そのように楽しそうに笑うはずありませんものね、フラン様」

リッタはそのフランの屁理屈に苦笑しながら同意する。

「うん。クラウスさん。貴方の自慢の弟子を私に預けてくれませんか?」

「そうですな。私はフランティスカ様の部下。となれば私の弟子であるシュバルツもフラン様に仕えるのはむしろ当然ですな」

「はい!」

嬉しそうにフランは弾んだ声で答える。

「いや、しかし――」

言いたいことは分かるのだが、それを簡単に成すことはできないのだろう、シュバルツは歯切れ悪く呟く。

「シュバルツ様。仰りたいことは分かりますが、そもそもわざとクラウス様に斬られようとしていた時点で、貴方の主君への忠誠は師以下だったのでしょう? もう素直になられてはどうですか?」

リッタのその言葉に、シュバルツは思わず噴出してしまった。自分より歳が行かぬ少女二人からこうも立て続けに言い負かされたのだ、無理も無い。

笑い終えた後、片膝立ちで祈るように右の握りこぶしを左手で包んだシュバルツは、自分の愛剣である古水を地面に置き、フランに頭を垂れる。

フランはその意味を察したのだろう、古水を鞘から抜き、彼の肩に刀身を置く。

「フランティスカ・フォン・ロートヴァルトの名により命じます。ロートヴァルト軍、銀の鷹隊長クラウスの弟子シュバルツ。貴公に我を守護する名誉を授けます。我に忠誠を誓い、汝の誉れとすべきを我に委ねなさい」

フランはゆっくりと、言い終わるとシュバルツは一層頭を垂れる。

「貴女を守護する命、身に余る栄誉にございます。このクラウス様の不肖なる一番弟子シュバルツ。フランティスカ・フォン・ロートヴァルト様に忠誠を誓いましょう」

彼の言葉が終わるのを見計らい、フランは剣を鞘に収める。

「立ってください、シュバルツさん」

彼女の言葉どおりに立ち上がるシュバルツ。

フランは彼に、古水を渡しながら花のような笑顔を咲かせた。

「これからよろしくお願いしますね!」

彼は再度、フランに頭を垂れる。

こうしてシュバルツは新たな主君を得たのだった。

 

 

 

玉座に続く廊下を歩くフラン達。

先頭にクラウスとシュバルツ。次にフランとリッタ。後方を三人の兵士達が固めている。

長く続いたエヴィンカーによる悪政も、眼前に見える扉の向こうにたどり着けば終わるのだ。七人は逸る気持ちを共有しながら廊下を渡る。

だが目的を達する前に、どうしてもフランはリッタに聞かなくてはいけないと思っていた。彼女が先ほどの部屋に入ってきた際、頬が赤くなっていた。アレは確実に泣いていた証だ。

「リッタ、大丈夫?」

「どういう、意味でしょう?」

一瞬詰まったものの、彼女は平然とそう返してみせた。だが、一瞬彼女の表情が崩れたことをフランは見逃さなかった。

「お父さんに会えたんでしょ?」

フランのその問いかけに、リッタはさすがに煙に巻くことはできないと悟った。そして、手短にだが、彼女は事の顛末をフランに告げた。

祖父の死因をあの丘で知ったこと。

最初から父を殺すつもりで旅に同伴したこと。

フランと仲が良くなるにつれて、その隠し事のせいで後ろめたさを感じていたこと。

父に会って、やはり自分は父親を愛していたのを再確認したこと。

そして、父も最期に自分を愛してくれたこと。

それらを全て、リッタはフランに吐露した。

いつも気丈に振舞う彼女が見せる、初めての弱さだった。

「そっか。辛かったね」

「い、いえ、そんな――」

「無理しなくても良いよ? 辛かったらここで待ってても良いんだから」

「平気です。私の意志で成したことですから、辛くなんて――」

「ない?」

それに頷くリッタ。もう少しで玉座への扉に到着する。

「後悔も?」

フランの言葉にリッタは苦笑してみせる。

「フラン様。その質問は、ずるいです」

リッタはそう言いながら視線を床に移す。だが、歩を止めることはない。

 

「人は後悔しない生き方なんてできませんよ」

 

リッタはそうフランに笑顔を見せる。

「少なくとも、私にはできませんわ」

「私もかな」

それにフランも笑顔で頷いて見せた。

扉が目の前に迫っていた。

「後悔をしていないと言えば嘘になります。でも、それは選んだから。どういう形であれ、選んだんです、私」

フランはそれに頷く。彼女も選んだからここに居るのだ。

そう、少女達は選んだ。国を救うことを。父を殺すことを。どちらも選ばなくても良い選択肢であった。だが、彼女達は選ばないこと。やらない事は後悔すると知っていた。

国を救いたいと思った少女。

両親から死に触れるように言われた少女。

少女達を取り巻く物語の終焉が近づいていた。

 

 

 

斑の無い真っ赤な扉にフランは手を掛ける。その扉はちっとも重くは無かったが、これまでのことを考えると随分と重苦しく感じられた。

ゆっくりと扉が押され、左右に開く。まるで運命を切り開くかのように。

扉の向こうの広く美しい玉座の間には大きな樹があった。この国の象徴である蓬莱の樹(ユートピアツリー)である。季節が移りつつあるというのに、まだ青々と茂るその樹はその樹齢を感じさせないでいる。天井は刳り抜かれ、樹を空へと帰しているかのようだ。

そして、その美しい樹の下に一人の男が居た。

その男は髭を蓄え顔には多少の油が浮いる。お世辞にもその外見は褒められたものではないが、玉座に座るその姿勢があまりにも自信に満ち溢れ堂々としているため、知らぬものが見れば高貴な出自だと勘違いしてしまいそうではある。

その男の名はエヴィンカー。

前王を亡き者にし、ロートヴァルトを手に入れた愚王である。

エヴィンカーは開けられた扉を真っ直ぐに見据え、扉を開けたフランと目が合うことは必至だった。

フランを先頭に、クラウス、シュバルツ、リッタ、そして三人の兵士が次々に玉座の間に姿を見せる。そして兵士達にその扉が閉められたとき、ついにエヴィンカーは笑い出してしまった。

「何が可笑しいのです」

静かに。フランは問うた。

「これが笑わずに居られるか、姫よ。こうならぬように手を打ったというのに、結局はこういう帰結になったのだ。笑うなという方が無理であろう?」

周りに誰も居らず、彼はそう不適に笑って見せる。肥えた鼠のようだとフランは思った。

「エヴィンカー。この国ロートヴァルトは貴方のものではありません。国を私利私欲で運営することなど許されません」

「何を言うのですか姫よ。国は王の物。国王の私が国を自由に動かして何が悪いのです」

笑いながら、エヴィンカーはフランを上から下に嘗め回すかのように。品定めするかのように見つめる。

それに耐えかねたのか、シュバルツはフランの前に立ち穂先をエヴィンカーに向けた。

「シュバルツ。やはりカーンの言う通りに内通しておったか」

「全てはこの時の為。私はこの国をお前の手から救うため。フランティスカ様を王にする為に、お前に偽りの忠誠を誓っていたのだ」

「ふん、そんなこと端から分かっていた」

「なっ!」

「お前が私に忠誠を誓っていないことなど分かっていた。だからこそ、お前に様々なことをさせたのだ。私に従う振りをしなくてはいけなかったお前が、私の欲望のままに己を殺す姿。実に愉快であったぞ」

そうエヴィンカーは広間に自身の笑い声を響かせる。

「この下衆がっ!」

シュバルツは今にも飛び掛りそうだったが、それをクラウスに止められる。

「随分と余裕ですな、大臣殿」

「クラウスか」

「この状況でそのように楽観的で居られるとは、よほど上手い脱出方法でもあるのですかな?」

そう言いながらクラウスが天音を背中から降ろし、強く握る。

「なあに、そのようなことはない。脱出しようにもここは城の中央。隠し通路などありはせんよ」

その口ぶりは彼女達の侵入経路を知っているかのようだった。

「皆様、前置きはこれくらいで良いでしょう。エヴィンカー、降伏しなさい。クラウス様とシュバルツ様を敵に回して生き残れると思うほど、貴方は愚かではないでしょう」

リッタの降伏勧告に、エヴィンカーは目を細める。

「お前は、ゲオルクの。なるほど。カーンの娘か。ハハハ、なるほど。血は争えんな。よもやまたあの爺のような口調をここで聞くことになろうとは」

ゲオルクのことを思い出したのか、エヴィンカーは愉快だと言わんばかりにリッタを見た。

「あの男のせいで私はあの愚図が軍師として台頭するまで煮え湯を飲み続けた。姫様の父君もそしてお前の父も。一に国だと五月蝿かったからな」

そういうとエヴィンカーは苦笑する。彼の周りにはその二人は当然のように居ない。

「愚図とは、父カーンのことですか」

「他に居るまいて。怨敵ながらゲオルクは素晴らしい男だった。だがアレの息子は駄目だ。まるでアレから生まれた子だとは思えん。お主は幾分マシのようだがな」

エヴィンカーはそう言うと、フランと同じように上から下までリッタを見回す。

「エヴィンカー」

静かに、嗜めるように、フランは呟いた。

「罪も無い人々を自分の欲求のままにする貴方の行為、許すわけにいきません。降伏しなさい」

そのフランの言葉に、エヴィンカーはついぞ笑いを堪えることができなくなり大笑いする。

「何が可笑しいのです!」

「いえいえ、何も可笑しいところなどありませんよ。可笑しいのは私のほうです」

エヴィンカーはそういうと玉座から立ち上がる。

「ほら、どうしたというのです。私はここに居ますよ。捕まえないのですか?」

彼のその言葉に、フランは一瞬言葉に詰まる。

最後の最後まで抵抗されると思っていたからだ。

それは周囲に居た皆も同じだった様子。特に彼が大臣だったころから彼を知るクラウスとシュバルツは動揺を隠せないでいた。というのも、彼は大変に自己中心的な人間であり、全ては自分の思い通りに行くと思っている人間である。その彼がここまで大人しく投降するとは思えなかったのだ。

確かに戦力差は圧倒的だ。千騎長が二人に魔法師が一人。リッタの存在を知らなくとも二人のことを知らないはずがない。戦うことは無駄だと悟っているのだろうか。

そう考えながらクラウスは、両手を前に差し出しているエヴィンカーの元に兵士達を向かわせた。

三人の兵士がエヴィンカーを束縛しようとしていると。

「フランティスカ様、すみません!」

兵士の一人は腰に携えていた長騎剣を振り上げた。

「あっ」

それで全てが終わってしまう。

その小さな音を発するだけで、他は間に合いもしない。

フランを含め千騎長二人までもがその光景をゆっくりと眺めるしかなかった。

それほどに兵士の行動は迅速であり、かつ迷いがなかった。

兵士の剣がゆっくりと、エヴィンカーの首に落ちていくのをフランはただただ見守るしかなかった。

渾身の太刀筋だったのだろう。、エヴィンカーの首と胴はその袂を別つ。

ゴトッ、という音を床が立て、少し遅れて(少なくともフランにはそう感じた)三人の兵士は真っ赤な血を浴びた。

「なっ、何を――」

フランは自分で何を発しているのか分かっていないかのように、呟くかのように問いかける。

「申し訳ありません」

兵士は剣を収め、その場をすぐに離れるとフランの元に駆けつける。

それを見た他の兵士達は慌ててその場から離れた。

「どうして、ですか?」

フランは静かに。噛み締めるかのように呟く。

「申し訳ありません」

「謝罪ではありません。どうして、こんなことをしたんですか!」

フランはきつい口調で兵士に問いただす。

「どうして、ですか?」

それに兵士は真っ直ぐにフランを見返す。

まだ成人したばかりのフランには、ジークほどの年齢の兵士が真剣な表情を直視したことで少し引けてしまった。それほどにこの兵士は真っ直ぐにフランを見返したのだった。

「私の全ては、アイツのせいで滅茶苦茶になりました。自分の妻も、子供も。父も、母も、家も、家畜も、全部! 全部アイツの娯楽に成り下がりました!」

兵士は叫ぶ。自分の今まで抱えてきた弱みを吐露する。

「復讐、ですか」

フランの先ほどの口調とは一転した声に、兵士は涙を零しながら跪き頷く。

「申し訳ありません。ですが、私はこの日の為に。この日為だけに生きてきたのです」

「仇を取るためだけに、ですか」

「命令に背いてしまい、申し訳ありません。覚悟はできています」

兵士はそういうと、先ほどエヴィンカーを斬った長騎剣を握る。

だが、剣を掴もうとした腕は、素早くしゃがみ込んだフランの手によって阻止される。

「フランティスカ、様?」

「許しませんよ、そんなこと」

フランの厳しい声に、兵士は嗚咽を上げ始める。

「そんなこと、絶対に許しません。選んだのでしょう? 選択したのならばそれから逃げるなんて、絶対に駄目です」

「ですが! ですが!」

「私は命令を背いたからと自害を促したりしません。それに、貴方が仇を討ちたいくらいに大事にしていた人たちは、貴方のその行動を望むでしょうか?」

その言葉を聴いて、兵士は再度泣き崩れた。

しばらく男の男の鳴き声が広間を包む。

これで終わったのかと、フランは思った。

最後は自分が蒔いた種によって、その実によって、わが身を滅ぼしたのかと思うと、フランは少し複雑な気持ちになった。

「フラン様」

リッタの声にフランは兵士から顔をあげ、親友に微笑みかける。

兵士の鳴き声が広間に響く。

鳴き声が。

「ふ、フラン様!」

リッタの驚いた表情に、フランは一瞬何が起こったか把握できなかった。

自分の頬に、温かい何かが付着する。

近くで鳴き声がする。早く泣き止んで欲しいとフランは思った。正しいと思って行動したのだから。確かに誇れることではない。相手がどんなに罪人であろうとも。殺すのだけは間違っている。罪を背負うことで。罪を償うことこそが重要だとフランは考えているからだ。

でも、選択したのだから。

その選択も彼は背負って生きていかないといけないのだから。

正しいことをしたのだから、早く啼き止んで欲しいとフランは思った。

王として彼女は彼を責めることはしないのに。

「ゲッ、ガッ、ゴッ」

はやくなきやんでほしいと、フランは思った。

「フラン様!」

リッタの声。そして力強い腕に抱き抱えられて、ようやくフランは状況を悟った。

 

目の前にある兵士の顔が、無くなっていることに。

 

彼女とその兵士だった物の丁度中間に、一つの不恰好な楕円。

それから音は漏れていた。

泣き止まないはずだと彼女は思う。

アレは既に意思を持っていない。もはや自動で音が出ているだけだ。

楕円からは真っ赤な血が流れ、その美しく冷たい床に小さな水溜りを作る。

 

「兵の、躾、がなっておりませんな、姫様」

 

静かに。鼠の声が響く。

クラウスの腕の中で、フランは確かに見た。

エヴィンカーの伸びた腕が、取り囲んでいた兵士達の頭を刎ねるところを。

「ガッ! ギィ!」

「ヒィ! グウ! アグ!」

それぞれ、何が起こったか分からないまま、二人の兵士は最初の者と同じように胴と頭が別れる。まるで鋭利な刃で斬られたかのように、兵士の切断面からは遅れて血が噴出した。

シュバルツとリッタがフランとクラウスの前に出る。無論、リッタは既に空間の支配を始めている。

「どうなっている! エヴィンカー、貴様何を!」

シュバルツの叫び。

まるでその声に合わせるかのように、エヴィンカーの胴は。既に生命を停止していなければいけないはずの胴は。自身の頭を求めるかのように立ち上がる。

「どうも何も、姫様の部下に首を切られたのですよ。おお、痛い痛い」

そう、エヴィンカーの首が喋っている。

既に首からは血液が出ておらず、代わりに断面は綺麗に皮膚で塞がり、それが言葉を発するたびにその場所が動く。

それはあたかも、人語を喋る為に生まれた一種の生物のよう。

いや、それは正しくない。

ソレは。喋る為に体を最適化させた、という方が正しいだろう。

ふらふらと首を捜す胴。今ならばそれを叩くことは容易であろう。しかし誰もそれができずに居た。

それはあまりの恐怖により。

アレがまだ人の形をしているのであれば、恐れることはない。

だが、斬られても死なず。そしてその生物は自分達を知っており会話を成り立たせている。

この場に居る誰もが、そのような奇怪な生物を知らなかった。いや、知っていたとしてもそれを認めたくはない。

それはこのような生物、この世には存在して欲しくない、という心からの願い。

自分の価値観という根底を揺るがされ、フラン達はその奇怪な生物の行動をただただ見続けるしかなかった。

ようやく頭を見つけたその生物は長く伸びた手を、自身の腕に収納していく。それが終わった際に掴んでいた頭を元の位置に乗せる。するとゆっくりと頭と体が癒着し最終的には何の違和感もなくそれは馴染んだ。

その光景を見ていたフラン達とエヴィンカーが身震いするのはほぼ同時であった。

フラン達は言いようのない恐怖から。

そしてエヴィンカーは体の変容から。

「さて」

その生物はゆっくりとフラン達の方へ振り向いた。その間も、彼の顔は所々隆起を繰り返している。まるで顔の裏でお湯が沸騰しているようだとフランは思った。

「え、エヴィンカー」

フランはゆっくりとその生物に名を問う。

「何でございましょうか、姫様」

フランは震えてしまう自分の声を必死に抑えながら続ける。

「あ、なたは、どうしたんですか?」

「どうしたとは?」

言われていることが分からないとでも言いたげに、エヴィンカーは両肩を上げる。顔が変わり続けている。そしてその沸騰のような現象は、既に体にも現れていた。

「貴方は、死んだはずではないのですか?」

「死んだ? この私がですか?」

可笑しそうに。その鼠のようだったモノは笑う。

「そうです! 首を刎ねられたではないですか!?」

「ええ、跳ねられましたよ」

それが何か、とでも言いたげなエヴィンカーの態度に、思わず言葉を詰まらせてしまうフラン。それは彼の体が大きく膨らんだから。唐突にそれが起こったものだから思わず言葉を失ってしまったのだ。

そして変化が終わる。

彼は太った鼠のようだった体をすっかり失ってしまい。今では痩せながらもしなやかそうな筋肉を持つ男性の体に変格していた。顔も鼠のようだったそれではなく、どこか造形美を感じながらも無機な表情。まるで作り物のように整いすぎていた。

「ふ、普通ではないです」

「そうでしょう。私は王。普通ではありません」

エヴィンカーは愉悦に満ちた彼の表情を浮かべフランを見る。

「そう、私は特別な存在なのですよ、姫様。いずれはキェイルドーを討ち、ヴェルゴスさえも手中に収めましょう!」

そう、エヴィンカーは両手を挙げ、高らかに宣言する。

自分を特別な存在だというエヴィンカー。宣言通りの事をする自信があるのだろう、先ほどの光景も相成って彼の宣誓には妙な説得力があった。

「しかし、これを僥倖と言わずなんと言いましょう。姫様。私と婚約しませんか? 貴方はこのロートヴァルトの正当な王位継承者。私と一緒になるのは自然な流れ。そうすれば民も納得しますし、このロートヴァルトは更に栄えることでしょう」

エヴィンカーのその申し出に、フランは身震いをした。それは先ほどの光景を思い出したからだった。

「フラン様」

彼女の状態を気遣うかのようにクラウスはフランを強く抱きしめる。

クラウスの声に、リッタとシュバルツは呆然としていた意識を切り替え、改めてエヴィンカーに集中する。

「私が貴方と婚約するなどありえません! 貴方のような化け物、このロートヴァルトの王にするわけにはいきません!」

フランのその強い断言に、三人の家臣達は頷く。

「そうですか。これが最終通達だったのですが、仕方ありませんね」

エヴィンカーはそういうと、地面に腕をだらりと伸ばす。そうなることこそが自然であるかのように腕は伸び地を這う。まるで蛇が徘徊しているかのようだった。

「この状況を勝てると思っているんですか?」

クラウスの手から離れ、彼らの後ろに移動しながら、フランは問うた。

「もちろんです。言ったでしょう? 私は特別な存在なのです」

無機質な表情はまるで仮面が割れたかのように急激に、まるで蛇のような見るものに寒気を覚えさせるようなものに変わった。

エヴィンカー変化をきっかけに、シュバルツが爆ぜる。

手には愛剣古水。自身の最も得意とする得物だ。

彼は右下から対角にエヴィンカーの伸びた腕を切り上げた。

そのあまりの速度対応できなかったのであろう、彼。否。生物の腕は頭上へと舞う。

舞う腕が落ちるまで待たず、シュバルツは追撃を止め、左に身を逸らす。

その刹那。彼の先ほどまでの位置をすさまじい速度で、火炎が走る。

突風染みた速度でシュバルツを若干焦がしながら駆け抜けたその炎は、エヴィンカーに向けられたリッタの明確な殺意。

そして爆音。

地面は抉れ、土煙を上げながらその美しかった床は熱により周囲を焦がしている。

だが、順者の行動はそれで終わることはなかった。

クラウスは死んでしまった兵士が所持していた長騎剣を拾い上げ、それを煙に向かって投擲する。

全体重と自身の筋力を込めた渾身の投擲は、煙のやや上空に風穴を開け、そこを中心に煙が晴れる。

それとほぼ同時に。煙から伸びてくる白銀の腕。

まるで長い槍のような。否。槍と呼ぶにはおこがましい程に太く鋭い腕が、クラウスの後方に居るフランに向けて伸びる。

だが、それを瞬時にクラウスが横から天音で切り落とすと、その太く銀色をした腕は斬れ、煙の中に残りは戻っていった。

びちびち、と斬れてしまった腕は地面を跳ねる。まるで独立した生き物のように。

先ほどの投擲と、エヴィンカーの手突により、煙は急激に晴れる。

エヴィンカーは天井からその太く長い腕を使い、ぶら下がっていた。

「なんと奇怪な」

クラウスの呟きにフランは頷いた。

「エヴィンカー。貴方は人間ではないのですか?」

フランの問いにその生物は腕を収め、天井から落ちてきた。

「人間? そのようなもの既に超越してしまいましたよ」

「超越した、ですか」

リッタの呟きにエヴィンカーは嫌悪を抱く笑みを浮かべる。人間ではないと納得してしまいそうな、不気味な笑み。

 

超越者(オーヴァーテイカー)

 

「え?」

フランが問い返した返事と同時に、クラウスに切り落とされた腕が根元から瞬時に生えてきた。

「我は人間に留まらず、あらゆる生物を超えた存在」

馬鹿げていると一笑に付すことは、どうしてもできなかった。

現に人間では。あらゆる生物では為しえない事を、この生物はやってのけている。

先ほども千騎士長二人と魔法師の三名の連携を悉く凌ぎ、反撃もしてみせた。

そして。蜥蜴(とかげ)のように体を再生させる能力。しかも瞬時にそれを行うことができる。

確かに、あの生物に名称をつけるのであれば、超越者というのが妥当なのかもしれない。

フランがそう考えたのと。

地面に落ちていた腕が彼女へと弾んだのは。

同時であった。

切り落とされたはずの腕は、まるで自身の意思を持つかのように斬られた根元から伸び、フランに巻き付き拘束する。

「キャッ!?」

「フラン様!」

一斉にフランの方へと向き直る。守るべき者の悲鳴は戦慣れしているはずの戦士達を振り向かせるには十分であった。

瞬間。エヴィンカーの丸太のような太い腕が、間合い的に近くに居たシュバルツを薙ぐ。

「ガッ!」

音を漏らして真っ直ぐに壁に飛んでいくシュバルツ。ロクに受身も取れずに彼は壁にめり込み、木と土嚢の中に身を埋めた。

瞬時にエヴィンカーの方へ向き直るリッタ。

だが、振り返った彼女の視線の先に、超越者の存在は無かった。

「どこを見ている?」

彼女の耳元で気味の悪い呟きが再生されたと同時に、その小さな体躯はシュバルツと逆方向に飛ばされ、同じ末路を辿った。

「クラウスさん!」

フランに巻きついた腕を器用にそれだけ天音で切断したクラウス。

だが、フランの悲鳴を理解し、先ほどから立て続けに起こった音を理解し振り返ったときにはエヴィンカーの太い腕が目前まで迫っていた。

「チイィ!」

瞬時に天音を短く持ち、刃の腹でその手突を防いだクラウス。

だが威力を殺すことはできずに、後方に居たフランを横に吹き飛ばしながら、後方の壁付近まで地面を両足で滑っていく。

何とかその威力を殺しきったクラウスは全身悲鳴を上げる体に鞭を打ちながら、地面に尻餅をついてしまっているフランの元に、必死に駆け寄る。

「さすが元千騎長といったところか。我の攻撃に反応するとは」

超越者は愉悦を浮かべながら、手を叩く。圧倒的な力の差から生まれる余裕が、彼にそうさせるのであろう。

「だが素晴らしい。この体は本当に素晴らしい」

改めてその生物は、自身の体を陶酔するかのように眺める。

「シュバルツすら反応できず、魔法師でさえ知覚を誤る。そしてこの破壊力!」

そういうと超越者は両腕を地面や壁に伸ばし、ぶつけ、手当たり次第破壊を行う。

それはまるで子供のように。気に入った玩具で遊ぶかのように、彼の表情には愉悦が浮かぶ。

「暴力の、破壊の、なんと甘美なこと! お前等の持つ力とは、こうも我を愉快にさせる!」

その言葉と同時に、一本の腕がクラウスに向かって真っ直ぐに伸びる。

それは恰も、この国の象徴であるはずの樹が、エヴィンカーに味方しているかのようにフランは感じた。

自分を射貫きに来る柱のような腕を、クラウスは刹那的に体制を低くすることで回避する。そして彼はそのまま、まるですれ違うかのように低姿勢のまま地面を駆け、腕の下を掻い潜りながらエヴィンカーに一太刀入れようと疾走する。

だが彼は見た。

地面にまるで天井が落ちてきたのではと錯覚させる程の、大きな影ができたことに。

それが二本目の腕だと気付いた瞬間、クラウスはまるで転がるように全力でその場を離脱する。

だが、それは間に合うことは無かった。

落ちてきたエヴィンカーの手のひらはクラウスの速度に負けじと加速し、結果。

クラウスの右足に向けて振り落ちた。

「アグァ!」

クラウスは転がりながら自身の生涯で感じた最大の痛みに気を失いかけながらも、その場を転がりながら離脱する。

そのあまりの痛みに彼は自身の足の有無を確認すると、痛みで感覚が飛んではいるがどうやら折れているだけのようであった。

だが、この状況は絶望的だといえる。

シュバルツとリッタは壁にめり込み気を失っているようであり、クラウスは片足が使い物にならない。

そして残されたのはフランだけになった。

しかも相手の一撃はまるで攻城兵器のような威力を兼ね備えている。

戦力の差は圧倒的だ。

このような状況を、絶望的というのだと、クラウスは飛びそうな意識を必死に繋ぎとめながら思った。

「さあ、残るはフランティスカ。お前一人だけだ」

超越者はエコーの掛かった薄気味の悪い声を出した。

本能的に。思わず後ずさりをしてしまうフラン。それも当然だといえる。

それは未知であるが故に。

知らないということは人の不安を煽るのに十分過ぎる効果を与える。

そして眼前の相手のような、人間という一面を持ちながらも内包するものが混沌めいている相手が目の前に居るのだ。フランのそれは当然だといえる。

「あぁっ」

声が漏れる。

恐怖に震える。

自分が最も信頼していた人たちが。

自分を王だと足らしめていてくれた人たちが。

無残にやられてしまっている。

逃げ出したいという衝動に身を委ねてしまいそうになるフラン。

でも、自分は王である。

自分を信頼してくれている人を救わないといけない。

そう考えているが、足は前ではなく。

自分の信頼する人が倒れている前ではなく。

退路のある後ろへと思わず下がってしまう。

本能に。

生物的な本能に抗うことができない。

前にあるのは明確な死の具現。

つまり前に進むということは死ぬということと同義である。

自ら死ぬということを生物は選べない。

理性が本能を押さえつけてくれない。

フランが一歩ずつ後退してしまうのはそういうこと。

全力で逃げ出さないと警告を出している本能を、無理やり理性が押さえつけているからこそ、彼女は一歩ずつ下がっているのだ。

その様子を、可笑しそうに超越者は眺める。

王としてこの場に来た少女が、結局は王ではなく、人であったという事に対し、彼は更なる優越感を抱いているのだ。

「逃げないのか? フランティスカ」

反響するはずがないのに重なる不気味でしかない声。その声は笑っている。

「に、逃げません!」

彼女のその言葉に対して超越者は睨みつける、そのあまりの気配の濃度にフランはやはり一歩下がってしまう。それは彼を喜ばせるには十分だった。

逃げるなと、フランは自分に言い聞かせる。

絶対に逃げてはいけないと言い聞かせる。

自分を信じてここまで来てくれた仲間に背を向けることは絶対にするなと。

だが止まらない。既に四歩。彼女は後ろに後退してしまった。その歩数分クラウス達から離れてしまう。

まるで自分達の信頼関係を距離に表したかのようだと思った矢先、フランは閃いた。

 

逃げてはいけないのであれば、逃げられなくすれば良いのだと。

 

フランは自身の腰に下がっていた長騎剣を抜く。

これで自分の足を刺すなり斬るなりすれば、この場に留まっていられるのではないかと思ったのだ。

だが、普通に考えればこの判断は間違っている。

彼女が逃げてはいけない理由は、倒れている仲間を助けるためである。

ならば自分を負傷させることはそれを阻害することになりかねない。

まさしく本末転倒である。

だが、それは彼女が通常な思考を保っているという前提があってのこと。

生物として段階(ステージ)の違いからくる恐れ。その相手からの明確な殺意による恐怖。仲間が死んでしまうかもしれないという悲観。

そのような様々な感情が彼女を覆い、そしてあのような愚考に至ってしまっても仕方のないことだといえる。

フランの手が震えている。

剣を持つ手が震えている。

重いのではない。恐怖により。これからくる痛みにはなく、目の前の存在はこうでもしないといけないほどに強大だという事実に。

彼女は剣を震わせていた。

そして、フランは剣を振り上げる。

それと同時に大きな音。それは勢い良く扉の開く音。

 

「諦めるな! フランッッ!」

 

大きく。頼りがいのある声がした。

フランは急いで振り返る。

そこには、出会った時と同じ、まるで熊のような大きな男の姿。

フランが王になると決めたときから一緒に居てくれた、一人の男。

ジークの姿がそこにはあった。

彼は扉から彼女の方へと槍を構え、警戒しながら歩み寄っていく。

「じ、ジークさん!」

「諦めるな! まだ負けちゃあいねえ!」

「あきらめてなんか――」

「いないよな? 俺たちの王はこれくらいのことじゃあ諦めたりしねえからな!」

ジークはそう、フランに笑って見せた。その笑顔は歳を感じさせないやんちゃな表情。

「でも、どうしてここに?」

「自分達の事は良いからってカレン達に追い出されてな。アイツ等俺のことを隊長だと思ってないみたいでな、体よくおっぱわれちまった」

槍を構えながら笑う彼の姿を見て、フランの体の震えはいつの間にか止まっていた。

 

「――それに約束したからな」

 

「えっ?」

フランの小さい疑問符。

 

「ヒルデさんと約束したんだ。フラン。お前を守るってな!」

 

ジークはそう言うと真っ直ぐに超越者を睨みつける。

まるで先ほどまでフランが味わっていた恐怖から彼女を守るかのように。

「お母さんと――」

「そうだ。お前が王としての道を歩むなら、俺はフランを命の代えても守り抜くと、約束した!」

そう啖呵を切るジークを見て、超越者は芝居染みた笑いを響かせる。

「何が可笑しい!?」

「ふっ、これが笑わずに居られるか。千騎長が二人掛かりでも止められなかった私を、お前一人で止めて見せるというその滑稽さにな!」

「ハッ! テメェの方が滑稽だ! それだけで既に勝ち誇ってるなんてな!」

「なっ! まさか!」

超越者はまるで慌てるかのように振り返る。

そこには既に自身の愛剣を横に振り切ろうとしているシュバルツの姿と、既に空間を掌握し力の方向性を制御しているリッタの姿!

「き、貴様!」

「遅い!」

シュバルツの横一閃。その神速にて行われた斬撃は超越者の胴を上下に分ける。

「ガッ!」

「リッタさん!」

「分かっています!」

一閃したシュバルツは素早く超越者の下半身を壁に向かって蹴りつける。

超越者の上半身と下半身はそれにより泣き別れとなり、その壁に叩きつけられた下半身を追うように、リッタの放つ弧状の火炎がそれを焼く。

更に虚空にまだ浮かび落下を待つ上半身に向かって、一つの鋭い風切りが襲う。

それは地面に倒れているクラウスが、天音を取り返すまでに使用していた槍を投擲したのだった。

位置関係的に槍は真っ直ぐに上半身の。眉間を貫き、玉座の背もたれに貼り付けられる格好となった。

「ギッ! グ――」

超越者が眉間に貫通している槍を引き抜いているうちに、フラン達は集まり体制を立て直す。クラウスは折れた足を地面に着き、ふらつきながらも立ってみせる。

集合後にリッタがそれに追撃しようとする頃には既に下半身は生えており、カラン、と無機質な音を立てて槍が地面に捨てられた。

「少し、舐めていたようだな。だが所詮は人だ、それを超えた私に勝てるはずがない!」

超越者は多少息を乱しながらも、余裕そうに笑う。

「ならば慢心しないこった。俺たちは今から、お前を倒すぜ」

 

「ふふん、ジークにしては良いことを言う。エヴィンカー。貴方が何者なのかはこの際どうでも良いことです。ですが、貴方は王の器ではないことはだけは、はっきりと分かります」

 

「ええ。こんな小さな国で王という位に執着し続けた貴方が、そのような力を持っている居るのに未だに、何かであること、に執着し続ける貴方が、フランティスカ様に勝てるはずがない!」

 

「ああ! テメェが見下す人にも、お前よりすげえ人は沢山居た! そのような人を恐れ、殺し続けたていた野郎が、人を超えているはずがない!」

 

「ウム。何度も絶望し、叶わぬ安寧に身を焦がしながらようやくここまで来れた! この老体が明日のロートヴァルトを作ると思えば、負けることなどありえはしない!」

 

「はい! 私達は私達の成すべき事を成す為に、ここまで来ました! 勝ちます! 絶対に!」

 

「人間風情が思い上がるな! 人であることの限界を知るが良い!」

「人に限界なんてありません! そんなものに囚われる事こそが貴方の限界です!」

フランの台詞をきっかけに、この場が動き出す。

ジークとシュバルツはそれぞれの得物を持ち超越者に向かっていく。その少し後ろにはクラウス、そしてリッタ。彼らに守られるようにフランが居る。

「さて、リッタ殿どうしますかな? 相手はどうやら斬っても死なぬ相手のようですが」

「そうですね。箇所を攻撃しても駄目なら、全体を攻撃するしかないでしょうね」

彼女達の前方では激しい打ち合いの音。伸びる必殺の威力を持つ手突を得物で弾きながら前方に進み、相手を討ち取らんと肉薄していく。

「なるほど。つまり、リッタ殿へのお膳立てをすれば良いですかな?」

「私を信じていただけるなら。それではできるだけ時間を稼いでください。私の知る最大の魔法ならば、きっと――」

それに頷くフランとクラウス。完全にリッタを信頼しているのだろう。その表情は先ほどとは違い、笑顔でしかなかった。

その笑顔のむず痒さに苦笑したリッタは、改めて自己の変革を唱える。

 

我思う故に我あり(コギト・エルゴ・スム)

 

それを見届けたフランは、クラウスと頷きあう。これからはリッタに全幅の信頼を寄せ、ただ時間を稼ぐという行為に没頭すれば良い。

ただそれだけでこの勝負に勝つことが出来るのだ。

無論、それのどれだけ難しいことか、この場に居る全員は知っている。

それを頼んだリッタ自身すら、無茶であると思っているほど。

だが、無限に再生を繰り返すあの生物の前では、彼女の策こそが希望であった。

そして、賽は投げられた。

 

 

 

お父様。貴方はどこまで未来を見通していらっしゃったのですか?

このような状況に陥ることも想定済みだったのですか?

ですから。

ですから、このようなものを、私に?

きっとそうなのでしょうね。

 

私、マルガリータは、私を信じてくれる人の為に、貴方を信じます。

 

 

 

戦いは熾烈さを増していた。

ジークとシュバルツは次々に向けられる死の権化に、攻撃の手を休めないことで拮抗している。

超越者の鋭く伸びる腕は伸びるごとに勢いとある程度の質量を増し、必殺の勢いで二人に襲い掛かる。

だがその必殺の手突を二人はそれぞれの得物で叩き斬り、互いの死角を補い合い、まるで強固な盾のようにその場を守ることに機能していた。

だが、無敵の矛と強靭な盾では、矛盾は起きない。

いずれは盾が磨耗し、食い破られるのは必然である。

ドスッ。

嫌な音がしたとフランは思った。

彼女の前方ではシュバルツの左腕に穴が開いていた。

「ガッ!?」

相手の防御を崩すためか、丸太のような大きさの腕の一点集中ではなく、五本の指を使った多角的な攻撃を防ぐ為に、シュバルツは体勢の問題上仕方なく腕を一本盾として使ったのだった。

自分の腕を貫いた五本の指を、古水で切り落とすシュバルツ。

エヴィンカーの指はそれぞれ地面に落ち風化したが、彼らの前方では既に腕の先から指が生えていた。

「リッタ、まだか!?」

ジークの叫び。

集中を要しているのだろう、リッタの額には汗が大量に滲んでいた。

一言も発することができないのだろうか、それを察してフランがそれを伝える。

「チッ! 相手の戦力が削れないってのは厄介だな!」

「ええ、常に全力で掛かってきますからね。見たところ疲労もないようですし」

休まらぬ攻撃を、得物で叩き落しながら、二人は毒づき合う。

彼らの周囲には本来ならば大量に腕やらがあるはずなのだが、それは体を離れると差はあるものの風化してしまい、そこには何も残らない。

いつ終わるのか分からないというこの状況は、フラン達の体力と共に精神を随分削っていた。

シュバルツの光景を見たからか、それとも別の理由か。気付けばフランは腰から剣を抜いていた。

「フラン様!?」

クラウスの声に、フランは首を横に振る。

「私ばかり守られるわけにいきません。みんな頑張っているんですから、私も何かしないと」

「それは本末転倒ですぞ!」

そのクラウスの当然な発言に、フランは耳を伸ばし、眷族かすることを返答とする。

「そのような事を言っている程、余裕はないはずですよ?」

耳を揺らしながら笑顔でフランは言うと、前方に向かって走り始めた。

「クラウスさん、リッタのことをよろしくお願いします! 今のクラウスさんには、守る人は少ない方が良いでしょうから!」

そういうとフランは、まるで彼女ではないかのように、まるでクラウスに有無も言わせないとばかりに、素早く、前方で善戦する二人の元に駆け寄った。

「フラン、何で来た!」

「フラン様!?」

二人は彼女を見ずに前方から、綺羅星の如く伸びて狂う腕や指を叩き落しながら問う。

「私だってこの国の為に役に立ちたいんです!」

そういうと彼女は自身の持つ長騎剣で、シュバルツを上空から襲おうとしていた三本の指を薙ぎ落す。

「フランティスカ様は国を救った後に――」

「仕方ねえ! それじゃあフラン、俺たちの背中は任せたぜ?」

シュバルツの至極当然な意見をかき消すかのようにジークは一瞬だけフランに向けて笑みを向けると、一歩ずつ超越者に向かって歩み始めた。先ほどまでは決してできなかった攻撃へと転じようとする歩みだった。

「ジーク!」

「うるせぇ! 俺たちが不甲斐ないからこうなるんだろうが! 嫌なら手を動かしやがれ!」

そういうとジークはまた一歩、玉座へと向かう。

今までと違うジークの不穏な行動に、超越者のどこか玩具で遊ぶようだった攻撃の雨は、更に苛烈になっていく。心得無きものを一撃で葬るであろう攻撃は、既に死神の鎌染みた凶悪さと兼ね備えジークを襲う。

だがジークは引くことなく、槍を振るい、致命傷になる攻撃のみを払い、一歩ずつ進む。そのなんと無茶なこと。戦いにおいて負傷とはできるだけ避けるべきもの。まだ続くであろう戦闘のことを考えれば、ここで無理をする必要なんてない。だが、彼は進む。

一歩ずつ彼が露払いをする。

それは彼なりのフランを守る術。自分に攻撃を集中させることにより、彼女への攻撃を疎かにさせようという、彼なりの考えだ。

それはあたかも、フランがリッタを安全にしようと真っ先に狙われるであろう自分が前線に立つという考えと同じであった。

ジークが取りこぼした攻撃も、シュバルツが。そして眷族化し、身体機能や感覚が向上したのであろうフランがそれをなぎ払い、本命を守り続ける。

そして、時は来た。

「フラン様! いけます! 離れてください!」

リッタの声に、フラン達はその場を離脱しようと構えた瞬間、三人は超越者の口元が上がるのを見逃さなかった。

「我がお前達が何をしているか、気付かないとでも思ったか!」

その声に、フランは超越者の足元が割れているのに気付いた。

彼女より先に気付いたのだろう、ジークが警戒を促す。

「気をつけろ! コイツ、足が埋まってやがる!」

なるほど。手を伸ばせるのに、足が伸ばせぬ道理は無いということか。

バリッ、と床が剥げる音を最初に聞いたのは、その特性上フランであった。

彼女も確かに見たのだ。まるで波のように超越者のものであろう白銀の足が、リッタに向かって地面から生え、向かっていくのを。

クラウスが気付いたときには、リッタに向かっている足は彼女の上空。今から体を反転させ、上空に天音を振るおうにも少しばかり遅すぎる。

声を聞いてから反応したのでは、致命的なタイミング。

誰も追いつけぬ速度で行われた、超越者の不意打ち。

確かに違和感はあったのだ。

戦闘が始まったばかりの超越者は、自身の力を振るうことに病み付きになっていた。それ自体が楽しいことであるといわんばかりに、シュバルツやクラウスを圧倒して見せた。ところが、それが今になってその場を動かずに単調な攻撃ばかりをしかけてきた。先ほどまで圧倒的な力を振るっていたというのに。

それは全てこの為の布石。彼が勝つ為に用意した周到な計画。ただでさえ力があるものが、真の意味でその力を使いこなした結果がこれだ。

全ては彼の掌の上だったのかと、フランはその光景を眺めるしかできない。

故に、彼女は強く願う。

否。それは願うことしかできなかったというほうが正しいであろう。

誰もその攻撃には追いつけず。彼女の一番の友人がまさに、自分の敵が手に掛けようとしているのだから。

そして、リッタの頭上に、超越者の攻撃が覆うとした時。

 

フランの翠色のペンダントが弾けた。

 

砕けた宝玉の中からは、一つの黒い粒。まるで種のようなものが入っていた。

瞬間的に何が起こったのか、フランには。いや。誰にも分からなかったに違いない。

リッタをこのまま殺すであろう攻撃が、いつまで経っても彼女に降り注ぐことはなかったのだから。

それは、信じられぬ光景であるが。

木の根がまるで籠のように編みあがり、リッタへ降り注ぐはずであった攻撃を。さながら盾のように防いだのである。

そしてフランは感じたのだ。あの時とまったく同じ感覚を。

あの頭に直接語りかけられるような、奇妙な感覚。

オプティマールグロースと開合した際に、マールが行った会話方法とまったく同じ方法で、フランは自身の頭に直接言葉が湧き上がるのを感じたのだ。

『ようやく、真に王と。我の眷族となりましたね、フランティスカ・フォン・ロートヴァルト』

時間の流れが緩やかになったのをフランは感じた。

『オプティマールグロース様ですか?』

『半分正解ですが、半分間違いです。私は私の分身。私の種子から生まれた、私です』

一瞬混乱したが、言いたいことはなんとなく分かった。

『貴女が王として。眷族として強く力を渇望する際に、私が発動する仕組みなのです』

『発動、ですか?』

『ええ。この国の王位継承者には、私の種子(バックアップ)が渡される。そして、その情報量を守れるだけの強い力。意思を感じた際に、真の意味で眷族としての力を。私を守るための力を行使することができるのです。弱気者や、覚悟無きものに私を漏洩しないよう、防護(プロテクト)が掛かっているのです』

フランが感じる世界は緩やかになっているのは、つまりそういうことなのかもしれない。

感覚が過剰に鋭くなっているが故に、彼女の取り巻く世界はこんなにも遅くなっているのだろう。

『完全には無理ですが、私を理解できるということは、一段階踏み込んだ形で、私の能力が使えるということ。フランティスカ。貴女が望んだから、無意識に貴女はマルガリータをその力によって守ったのです』

『私が、リッタを?』

『そうです。その力とは植物を操り、特化進化(ひんしゅかいりょう)させるということ。貴女が望む植物を望む形で作り出し、操る力』

『力。私に、力が――』

『どう使うかは貴方次第です。歴代の眷族の中でも、フランティスカ。貴女程私を使いこなせた人は居ない。これは前例の無きこと。なんと才覚の強き人間なのでしょう。私の特性である特化進化を、人間なりに重ねた結果なのかもしれませんね』

静かに。どこか嬉しそうであり、どこか恐れるような声で、マールは語る。

『貴女を見ていると、本当に人間には限界が無いように感じます。さあ、その力で成すべきことを成したい事を成しなさい』

その言葉が終わった瞬間、あらゆる音が返ってきた。

まるで大きな雨粒が布を叩くかのように。まるで大瀑布に叩かれる地面のように。

激しい音を立てながらも、リッタを覆う木の根は彼女を守りきっていた。先ほどの会合は一瞬の出来事であったらしい。

「ど、どうなってやがるんだ?」

最初に状況を把握したのは。いや、把握しようとしたのはジークだった。

誰もが駄目だと思った瞬間に現れた根の壁。それに阻まれリッタに攻撃することができなかった超越者の足は、再度地面に潜り持ち主に返っていく。

「マール様が」

全員がフランの呟きに耳を傾ける。それは敵である超越者も同じこと。全員が。フランを除く全員が不可解なその現象に説明を求めているのであろう。

「マール様って、あのオプティマールグロースっつう、木のか?」

ジークの言葉に頷きで返答するフラン。

「はい。助けていただきました」

詳しく説明するには謀る状況だと判断したのだろう、フランはあまり語らずに超越者を真っ直ぐに見据える。

「エヴィンカー」

エヴィンカーと呼ばれたその超越者は、苛立ち気にフランを睨みつける。その名で呼ばれることを嫌がっているのかもしれない。

 

「私達は、勝ちますよ」

 

静かに、フランはそう告げる。

先ほどまでの彼女とはどこか雰囲気が違う。

ただ静かに。まるで樹木のように。彼女は大きく圧し掛かるのような言霊を吐く。

「な、何者だ!」

エヴィンカーはフランに向けて叫ぶ。この間に来て初めて見せる、人間らしい、彼の戸惑い。

「お前は何者なのだ!」

悲痛である。

未知であることへの恐怖を、今度は彼が味わっている。そのようなものとは無縁だった彼が、今ではそのような安っぽい俗物な感情に支配され、叫んでいる。

 

「貴方と同じ人間です」

 

耳の長い少女は、全身を銀色に輝かせる男を睨む。

「来るな!」

エヴィンカーは叫ぶ。

「来るなぁ!」

彼の右腕が、丸太のような太さを持ち、巨大な槍のような鋭さにてフラン達に向かっていく。

だが、その必殺であるそれは。

無敵の矛であるはずのそれは。

フランティスカの作り出した、根の壁に阻まれ、屈折し地面に突き刺さる。

「さあ、ジーク、シュバルツ、クラウス、リッタ。終わらせよう?」

それを見たフランが、静かに自身の家臣達に告げる。

その静かだが威圧感のある声に、ようやく四人は我に返った。

「来るなと言っている!」

エヴィンカーは右腕を戻し、両腕を束ねるように組み、両腕を纏め、一つの巨大な槍とした。

そしてそれを前傾姿勢後に、まるで射出するかのようにフラン達に向けて打ち出す。

だが。

「無駄ですッ!」

フランは手に持っている得物で、それを正面から真っ二つに斬る。

彼女の得物を中心に、エヴィンカーの腕は左右に大きく開いていき、それぞれ壁に突き刺さる。壁を打ち破ろうとしたばかりに後先を考えずに最大の力を込めて伸ばしたのが仇になったのだろう。彼の体は一瞬の硬直を見せる。

「クルナァァァァァァァ!」

エコーの掛かった不気味な激昂。

瞬間、彼の全身から。裂けて別れた手だけでなく、あらゆる箇所から、まるで針のような鋭さが隆起し、フランに襲い掛かる。

しかし。

その数千にも近い数多の殺意を、フランは避けることもしない。

「俺たちを忘れてんじゃねぇ!」

その言葉と共に、エヴィンカーに肉薄する二つの影。ジークとシュバルツである。

彼らはその針がフランに届く前に、エヴィンカーの両腕をそれぞれ一刀両断する。

「ガッ!?」

腕を斬られたことによる衝撃からか。腕から生えていた針は一瞬の硬直後に腕の中に戻っていき、本体から生えていたものも同じ末路を辿る。

「キ、キサマラ!」

エヴィンカーの激昂。不気味なそれでしかないはずのその唸りは、もはや人間のものだった。感情に支配された言葉を吐くそれは、既に超越者などではなかった。

瞬時に生えた腕で、ジークとシュバルツをそれぞれ横薙ぎに壁に打ち付ける。

邪魔者を排除したエヴィンカーは、再度フランに攻撃を繰り出そうとして、その身を竦めた。

超越者であり、ほぼ不死身に近い彼が本能的に危機を感じる。

それは彼の前方から。扉側から。

それはつまり。

「受けなさい、愚かなる者! これが我が一族の炎!」

マルガリータである。

ジークが駆け付け、一つの魔法の準備だけをしていた魔法使いの一撃が、今ここに結集する。

 

我が求めは蜃炎(、、、、、、、)――【不知火(、、、)】」

 

リッタの言霊は空間に伝わり、待機していた方向性が自らを振るわんと具象する。

エヴィンカーを取り囲むは五つの火球。

瞬間、その五つの炎からエヴィンカーに向けて炎が放たれる。

五つの炎は一つになり、ここに圧倒的な熱量を体現する。

その炎は螺旋を描き、天井を突き破りながらも勢いを落さず、中心に居たエヴィンカーを焼き続ける。

それは誰も知らぬ魔法。

それは誰も知ることの適わぬ炎。

それはいずれ、人が生み出す未来の体系(、、、、、、、、、、、)

右手で掴んだ左腕を真っ直ぐにエヴィンカーに向け、リッタは唸る。

制御が難しいのか、彼女は発動した後だというのに意識を集中させたままである。

自然と彼女の鼻から血が流れる。

そして、周囲に展開していた火球が一つずつ消えていき、炎の勢いが収まる。

その中心に居たのは、両腕で頭を抱え、全身を銀から黒に焦がし、必死に生命を存続させようとし、生物として炎に適応しようと足掻いていた一人の人間の姿。

「アガァア!」

エヴィンカーはその猛攻に耐え、足をふらつかせる。

確かに全ての生物を超越しているかのように思える、その超越者の。

足元が既に銀色に戻ろうとしていた。

「ブランディズガァァァァァ!」

声にならない声でフランの名を呼ぶ。

足元から銀色に戻っていく。

 

「フラン!」

壁に埋まり、動けないのであろうジークの声。

「フランティスカ様!」

地面に倒れながらも、必死に顔を上げているシュバルツの声。

「フラン様!」

鼻から血を流しながら、未だに同じ格好で震えるリッタの声。

「フラン殿!」

砕けた片足で何とか立ち続けるクラウスの声。

 

「エヴィンカァー!」

 

フランの疾走。今まで少女であった彼女とは思えない程の速度。

それはさながらジーク達のような戦士達の速度である。

「ブランディスカッァァァァ!」

叫ぶエヴィンカー。

必死に腕を伸ばし、それを迎撃しようとする。

しかし、炎を受ける直前に腕を再生させたからか、炭化している腕は、脆く地面に落ちる。

 

「やっちまえー! フラン!」

 

ジークの声。

地面を蹴り、エヴィンカーに飛び掛るフラン。

振り上げる手に収束していく光。

それは植物である。

玉座の後ろの生えている蓬莱の樹から急速に伸びる枝が、フランの手に集まっていく。

そして、それは一つの形を作る。

それは木剣。

決して長くなく、鋭利ではなく、とても武器に見えないそれは。

フランの手の中に納まり。

そして。

 

エヴィンカーの胸に突き立てられた。

 

瞬間、その剣から急激な速度で枝が伸び、葉が付き、エヴィンカーは根に覆われていく。

その剣は種のようなものだった。

それは対象の養分として成長する樹である。

体が木乃伊(みいら)のように萎んでいく超越者だった人間。

彼はそのけったいな様を見て、苦笑を漏らす。

 

「終りです、エヴィンカー」

その場を半歩離れ、見守るフランの声。

「そのようですな」

どういう心境なのか、まるで遠くの故郷を懐かしむかのようなエヴィンカーの声。

「それでは精々、この国で足掻くとよろしいでしょう、姫様」

最後の最後まで、彼はそう皮肉を吐く。

「当然です。人間はそう簡単に、負けません」

その台詞を聞いて、エヴィンカーは最後に一度だけ苦笑する。

萎んでいく彼の顔は、やはりどこか笑っているように見えた。

その日。革命は果たされた。

 

 

 

一ヵ月後。

フラン達がエヴィンカーを倒し。ロートヴァルトの王権を奪取して一ヶ月が経った。

今日はその式典が行われていた。

多くの人がロートヴァルト城に集まり、新たな王の誕生を祝う。

国の内情は厳しいものがあり、大きな祝賀を開くことにフランが難色を示したため、ささやかなものではあったが。

リッタの発案の、納税を二年間行わなくて良いという宣誓の盛り上がりから始まり、最後はフランの亡くなってしまった国民達への黙祷を最後に式典は終了した。

その日の夜。

フランは式典の衣装そのままに、月の夜を散歩していた。

未だに慣れぬ、ロートヴァルト城での暮らし。毎日が目まぐるしく動き、沢山の笑顔に包まれている日々が続く。

確かに皆苦しい状況が続いている。

だが、貧困ながらも皆の表情には希望が満ちている。

それをゆっくり、確認しながらフランは場内を歩く。

そして玉座の間の扉をゆっくりと開く。

ここは最後の戦いが行われた場所。

未だに地面の一部はひび割れているし、天井にはリッタの炎により開いた穴を隠すように布が掛かっている。

あの布がなければ、月が見えたのにとフランは思った。

今日は美しい満月だった。

だからこそ、今日は一ヶ月前のように散歩をしてみようと思ったのだ。

ゆっくりと玉座に向かうフラン。

「やあ、こんばんは、お姫様」

突然、そのような声がした。

慌ててその声の方向へ振り返る彼女。

先ほどまで何の気配すら感じなかったというのに、急に呼びかけられたことに、彼女の鼓動は強く鳴る。

振り向いた先には、全身をぴったりと黒い布で覆った、銀色の髪をした女性が居た。

彼女の髪の色を見て、フランの鼓動は更に早まる。

思わずあの色を思い出してしまうから。

「どなたですか?」

「アハッ、警戒しなくて良いよぉ。僕ぅ基本的に無害だから、アハッ!」

ねっとりとするような口調で、しかし軽快に話す女性。体つきは豊満であり、間違いなく大人なそれなのに、口調が子供っぽく、ちぐはぐな印象をフランは受けた。

「僕はねぇ、そうだなー。ユナ・ナンシィ・オーエンって言うんだよぉ。よろしくねぃ、お姫様」

ユナと名乗った女性は笑う。フランは玉座の付近に。彼女は扉の近くに立っている。

そんなつもりはないが、あまりの不気味さに退路を断たれてしまっていることに、フランは不安を覚える。

「大丈夫だよぉ。僕ぅ、無害なんだから」

銀の髪を揺らしながら、まるで拗ねた子供のようになるユナ。表情に不安が出てしまっていたのか、フランは申し訳ない気持ちになった。

「今日はねぃ、おめでとうを言いに来たんだぁ」

そういうと、ユナはフランに手を伸ばす。握手を求めているのだろう。

フランは今日何度目になるか分からない握手を彼女と交わした。

「おめでとうございますぅ、フランティスカ様ぁ」

嬉しそうに、ユナは笑う。

だが、目の前で笑っているというのに、フランにはちっとも彼女の本心が見えなかった。

「ありがとうございます。ユナさんは貴族なのでしょうか?」

この大陸で、名前以外に名があるのは貴族か王族だけだ。

「うーん。そうじゃないよぉ。僕ぅ、名前がいっぱいあるから、その中の一つぅ」

フランは軽く眩暈がした。彼女が勝手に名乗っているだけということが分かったから。

「そうなのですか」

「うん。でも僕のことなんてどうでも良いよぅ。まあ、君のこともどうでも良いんだけどぉ」

くすくす、とかみ殺すようにユナは笑った。

面と向かってどうでも良いと言われたことがなかったフランは、一瞬気を悪くした。

「ごめんねぃ、気を悪くさせるつもりはなかったんだけどねぃ。ただ、顔を見たかっただけなんだよぉ。オプティマールの奴が認めたなんて、滅多にないからねぃ」

その言葉を聴いて、フランはどこか納得した。

「オプティマールグロース様のお知り合いの方だったのですね」

こんなに奇怪な人だから何かあると思ってはいたが、オプティマールグロースと面識があるのならばどこか納得できる。むしろ人の形をしている分、マールよりは親しみやすいとフランは思った。

「うんうん。僕は親しみやすいよぉ、まあ、アイツとは仕事仲間(ビジネスパートナー)、って感じかなぁ?」

だからだろう、こうあっさりと心を読まれてもどこか諦めることを容認してしまうのは。

「でも、残念だよぉ」

「何がですか?」

少しだけ親しみを覚え始めてきたこの女性に、フランは尋ねる。

「うん、僕ねぃ。フランティスカに期待してたんだよぉ。でも、見当違いだったのか邪魔が入ったのか。ううん。邪魔が入ったんだろうねぃ。結局僕の目論見とは外れちゃったんだぁ」

何を言っているか分からなかったが、フランは、残念ですね、とだけ返答した。

「うん、残念だよぉ。一人には当てがあったからさぁ。仕方ないから別のを探さないといけないんだぁ。ふぅ、結構大変なんだよぉ」

ちっとも会話が成立しない。いや、させようとしていない辺り気持ちの悪さを感じたが、それでもフランは相槌を打つ。

「うん、頑張るよぉ。それじゃあ、私はもう行くねぃ。どうもさっきから誰かに見られてるみたいだからさぁ」

「そうですか? 私は何も感じないですけど」

「うん、姫様には無理だよぉ。これはそういうんじゃないんだ。まぁ、もう行くよぉ。もう興味無いし、会うこともないだろうから。あ、ううん。一回だけ会うかもだけど、ま、これでさようならだよぅ」

ユナはそういうと、銀の髪を振りながらフランに背を向けた。

去り行く大きく開いた背中を見つめながら、フランは一回だけ大きな溜息を吐いた。どうも威圧感を感じていたようで、それから解放された途端、疲れが一気に増した気がした。

彼女はゆっくりと窓に向かう。空には大きな月がある。

丸い、丸い、美しい月。

フランはその月にぼんやりと願う。

この国のこれからの繁栄を。皆が幸せに生きられることを。

やる事は山積みだ。

だが、自分が信じた人たちならば、きっと自分をこれからも助けてくれるだろう。

自分はそれを信じてあげれば良い。

そうしてこの国を作っていこう。

人間を越えたいと願った男は、結局人が作り上げた概念に縛られていた。

自分もきっと様々なものに縛られるだろう。身動きが取れなくなってしまうだろう。

でも、自分が動けなくなっても、自分のやれることは信じる事だ。

自分の意図を察して動いてくれる人。糸を振りほどいてくれる人。

彼らを信じることこそ、自分の王道だ。

死んでしまった人達に、フランはもう一度だけ、月に冥福を祈った。

 

エインセルサーガ外伝・【ロストプリンセス】/了

【???】

 

「フランティスカが抜けなかったのは、お前のせいなのか?」

「ふん、自分の世界の繁栄を願うのは人として当然のことだろう」

「戻れない世界の平和を願うなんて、やはり人間は面白い。それで、結局この世界の魔法の進化を早めたのも、僕を倒すためだろう?」

「そうだ。正確には、これも抜かせなくするため」

「アハッ。そうか。でも無駄だよ。確かにフランティスカは抜けなかった。二つの剣が交わることが無くなった。でも、君の世界はやはり救われないし、君も戻れない」

「分かっている。所詮は外史。現に私達の世界でも、フランティスカは抜いていない」

「分かってるよ。私は数多く居る私の中でも失敗した私になるのだろう。そして、お前は成功した私に殺されるんだ」

「ああそうだ。俺は先の人間。故に俺の力をマルガリータに継承させた」

「でも無駄だよ。この世界はこの後、正史を辿るだろうさ。でも、お前が。マルガリータが。いくら魔法の体系化を早めても、結局は無駄。世界において大事な。それこそ、オリジナルと呼べる剣はそんなことじゃあ、引き抜けない。所詮、世界剣を抜けるのは正史に。世界に。いや、アイツに選ばれた者だけなんだ」

「そうだ。外史が正史に関与して、文明を加速させても、結局は同じ」

「だが、お前のせいで、本来の正史では素質があるはずのフランティスカが、抜かなかった。そしてそれが正史となる」

「そう。俺はこの外史を正史にするために、この世界に干渉したのだ」

「わざわざ子孫を作ってまで」

「そうだ。お前には分からないだろう。お前でないお前の仕業だからな」

「いいや分かるさ。だって僕だからね。でも、意味がない。君は不老不死じゃないから、正しい未来にできたとしても、そこは君を受け入れてくれない。そのような異分子(イレギュラー)が居る時点でその未来は分岐するだろう」

「そうだ。それも分かっていた。同じ結末になったとしても結局それは限りなく似た世界。俺の世界ではないさ。結局は復讐のようなものなのさ」

「つまんない感情だね。人間だからかな」

「そうだ。俺の。そしてこの世界の目的は正史に返ること。だが、それは絶対に無理なんだ」

「観測者が違うからね。限りなく同じだけど、それは限りなく似た世界にしかなりえない」

「ふん。さて、頃合だぞ。殺すのだろう?」

「うーん、良いよ、止めておく。どうせ外史だ。正史に踏み込めない、正史もどきの世界なら、君を殺しても一緒だろう。そんな記録、正史には存在しないんだから」

「なるほど。それは面白い。では分岐した外史、俺が観測者となり記録しよう。さすれば――より本物に近い贋作になるだろから」