消失王女に関する原作者の干渉
白武士道
神話を創りたい。
白武は常々、そんなことを考えていた。
神話とは即ち、シェアードワールドのことである。
それは一つの世界観、あるいは物語を複数の作家が共有し、それに準拠した作品を書く創作形態を指す。ギリシャ神話がホメロスやヘシオドスといった詩人らよって語り継がれてきたことを考えれば、シェアというのは神話を構成する上で必要な条件の一つなのかも知れない(後世から見れば、だが)。
神話を創る。それは白武の根源的欲求の一つだ。とりわけ、その題材として選びたいのは思想の最終結晶ともいえるエインセルサーガ。これを神話の域まで高めたい。その想いは学生の頃から胸に芽生え、いまなお成長を続ける大望である。
しかし、白武の作品をお読みのほとんどの読者はこう思うことだろう。
――「エインセルサーガってなによ?」と。
至極当然の反応である。
何せ、そんな物語はこの世に存在しない。その構想が(ほぼ)完成しているとはいえ、所詮、それは白武の脳内の話。短編集「風の軌跡」という一部の設定と作品が公開されているが、そんなものは大河の本流から分かたれた支流の、それまた支流。シェアに必要な情報はまったく足りず、その世界がどんな基本原理や教義を唱えているかも一切不明。
本編不在の不明瞭な世界観をシェアの対象にしようなど言語道断。エインセルサーガのシェアードワールド化など、白武の勝って極まる我儘。傍若無人にして独り善がりの願望でしかないのであった。まる。
……だが、そんな駄々っ子の我儘に付き合ってくれる知人というのも、まあ、いるにはいたのである。何を隠そう、我が相方、更級楓こそがそれだ。
ここ数年、諸事情と精神的な負担が重なり、めっきり筆を取ることがなくなった白武。自分の作品は自分で書かねば何の意味がない。耳が痛いが書けないものは書けないのだ。それは書こうとしないからだ、という正論もごもっとも。だが、正論を語り、それを実行できる人間ばかりなら、世界はここまで醜くはあるまい。所詮、それさえも自分の怠惰を正当化するための言い訳だと断じられるわけだが。
自虐はここまでにしよう。
さて、創作から徐々に疎遠になってしまった白武だが、エインセルサーガのシェアードワールド化の野望だけは棄てることはできなかった。白武の一方的なライバル意識から、この作品群に関して少し距離を取っていた更級にシェアの話を持ちかけたのも、彼がその一端を担えば、身を潜めている創作意欲が刺激されるかもしれないと思ったからだ。社会の歯車として機能し始めている自分に危機感を覚えたのかも知れない。
シェアの話自体は、実にあっさり決まったと思う。
物語の本筋と担当する部分の内容を説明すると、すんなりとOKが出たのだ。
ひゃっほう、奇跡だぜ!
しかし、奇跡には代償がつきもの。何かと多忙な更級が作品を寄稿してくれる、という奇跡を顕現させるためには相応の代価が要る。それも当然の帰結。貴重な自分の時間を、自分のためでなく、他人の脳と口から垂れ流した悪臭漂う汚物の如き妄想、妄言の代筆にあてるのだから。
とはいえ更級の作家としての信頼が、その代償を支払うことを躊躇させなかった。その代償が何かここで明言するつもりはないが、「こいつならやれる!」と確信したのである。
このような経緯で消失王女の物語が始まり、無事、幕を閉じたのだった。
◆
更級楓。
人物の心理描写と書き分けに通じ、物語構成と読者の誤読を誘う手法を好む。徹底した客観視と合理性の取れた小世界を組み立てる達人。少しでも自分の役に立つと思ったことは積極的に取り組み、日々の研鑽を怠らない努力の男。何より嘘の妙手。虚構のクイックドロウ。撃たれた時には、すでに騙されている。
ただの法螺吹きと侮るなかれ。作家にとって嘘吐きというのは一種の誉れ。何せ、創作なんてノンフィクションを書くのでもなければフィクションを書くことが全て。信憑性の高い嘘を吐けるということは即ち、良質の作品を書けるということに他ならない。
その更級が書いた作品が面白くないわけがない。たとえ、エインセルサーガという素材が腐っていても、お得意の手八丁口八丁で高級食材へと「見違えさせる」。
白武の小説をお読みの読者なら、同時に、更級の作品も読んでいることだろう。
あの更級が、白武の世界観の小説を書く?
それだけで楽しみというものだ。
そんな更級に渡した最初の情報が、
アランディア大陸に広がる大平原。
幾つもの国家がひしめく大地に戦乱の炎が舞い上がる。
平原統一の野望を掲げる中央大国ウェルゴスによる諸国侵攻。度重なる戦で多くの国が滅び、あるいは隷属し、戦火は連鎖的に平原全土に広がっていった……。
舞台は南部平原の小国ロートヴァルト。ウェルゴスの介入で内部から傀儡化されたこの国の民は愚王による圧制で苦しんでいた。
政変の際、王族を尽く処刑した大臣の魔の手から逃れた唯一の姫、ファイム。
消失王女として語り継がれる彼女が、現王政へ反旗を翻した反乱軍の頭目となり、政権を取り戻す。
――という、この物語の概要。
他にも口頭でも幾つかの説明はしたが、それでもそこまで詳しい情報は渡さなかった。
消失王女に関しては未決定部分が多かったというのも理由の一つだが、できることなら更級の知識と感性で世界を埋めて欲しいという願いがあったからだ。情報量の少なさに、さぞ更級は四苦八苦したことだろうが(笑)。
その意味で、更級に三国志の知識がなかったのは幸いした。消失王女は、結局のところ三国志演義の蜀が原型になっているからだ。なんとなく予想はついただろうが。
さて、今回の消失王女で特筆すべきは前半部におけるファイムの心理描写に尽きよう。
彼は、白武が軽く注意するほどファイムの内面を書き込んだ。先へ先へと読み進めたいのに、これがなかなか進まない。だが、それは物語の帰結を知る原作者ゆえの視点だからだろう。未読の読者にはそれで正解なのだ。ただの村娘として育ったファイムが反乱軍の希望たるフランティスカ王女へと変貌させるにはそれだけの文章量が必要だったし、もしかしたらまだ足りないくらいだったのかもしれない。
ヒルデもまたいい役割だった。元より、それに順ずるキャラクターは用意していたが、彼はそれを極上の悲劇へと変えた。ファイムがフランティスカへと自立する、明確な一歩と成り得たのだ。これは前半、きっちりと内面描写をしたからできたことだろう。
ファイムからフランティスカへと生まれ変わってからは、要望通りの仕上がりといって過言ではない。ジーク、クラウス、シュバルツ。騎士たちの人間関係や対立、その内心を見事に表現し切ったと思う。
中盤以降に登場し、フランティスカを支える名軍師リッタだが、実は初期構想では存在しなかったりする。いや、軍師はいたのだが、ああいう役回りではなかったのだ。リッタに関しては完全に更級アレンジ。途中、偉大すぎるお爺様(死体)の登場や娘に嫉妬するファザコン親父との確執により「実は主人公ってリッタじゃ?」と思ったこともしばしばだったが、全てはあの最後の頁のためだと思えば。
あの最後の頁。最初に読んだ時は驚きだった。
総括原作者である白武にしか解らないし、一番驚いたと自負しているが、あの仕組みには読者の予想を裏切る見事な構成だったと感心した。設定上、保留にしていた問題を更級が掬い取った感じだが、それでもあの絡め方は上手い。
二度目に目を通した時、少しだけ反発心が沸いた。
事前の打ち合わせでは想定されていない展開だったのは事実である。世界の根幹に関わる重大なギミックを白武に無許可で実装したのだ。何においても確認を取るべきだったのではないかと、内心で憤慨した。
三度読み返した時、まあいいかと得心がいった。
結局のところ、小説は読み物だ。面白ければ何でもいい。事実、白武は大いに驚愕し、感動した。その事実は揺るぎない。ならば、それでいいじゃないか、と。設定の方は後で辻褄を合わせるよう調整すればいいのだから。
この結末を思えば、リッタを更級に任せたのは正解だったのだろう。
かくして。
四ヶ月の月日を費やして、この消失王女は完結した。
これはあくまで僕が構想を練っている本編を補完するためのパーツに過ぎない。本編には影響しない、けれど、本編を際立たせるための装飾品。
……であればいいと、最初思っていた。
そのくらいの材料した提示しなかったのは事実である。
物語の概要。ファイムの超越者化。ジーク、クラウス、シュバルツの三騎士。伝説の槍。オプティマールグロースの原型となった異星植物。
それらは単品では意味をなさない。だが、更級はそれらを一本一本丁寧に紡ぎ、一枚の豪奢な布地として織り上げた。
原案は白武にある。が、これは彼にしか書けなかった物語だろう。
それはとても大きな意味を持つ。シェアの第一歩。その目的は果たされたのだ。
彼に頼んで本当に良かった。
この作品が今後の神話の足がかりになれば、と切に願う。
P.S.
ファイムとリッタのスリーサイズで口論したのも、今ではいい思い出である。